1996 Fiscal Year Annual Research Report
自信と批判-「徳の倫理」における道徳の容観性と相対性
Project/Area Number |
07610033
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Research Institution | Iwate University |
Principal Investigator |
宇佐美 公生 岩手大学, 教育学部, 助教授 (30183750)
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Keywords | 徳 / 内的実在論 / カント / コミュニタリアニズム / リベラリズム |
Research Abstract |
前年度の歴史的研究をふまえて、本年度は、近代の啓蒙的合理主義をへた現代において「徳の倫理」を語る意義を中心に考察をすすめた。 徳の再考を促す現代のコミュニタリアニズムは「普遍的で合理的理論としての倫理学」への根本的懐疑を掲げながらも、単純に古代の徳倫理を復権するわけでもなく、また道徳判断にある種の客観性を認めながらも、素朴な道徳的実在論を提唱するわけでもない。それは現代の徳倫理が、近代の合理主義的倫理(とそれに対する様々な批判)をしかるべく継承しているからであると考えられる。具体的には、功利主義も含めた現代の正義論が問題にする正義の原則と、原則への行為の適合性だけでは、具体的行為を導いてはくれない。その意味では状況が求める意味(価値)とそれに対する適切な応答の仕方を伝える手段として、身体・実践的な刷り込みを含む性格(ヘクシス)形成は有意味であり得る。そのことをウィットゲンシュタインの言語ゲーム論を参考に明らかにした。しかし近代以降の開かれた社会と正義や価値の一元的原理とそれを元にした批判的視点を獲得した後、特定の共同性が求め反省以前の盲目的慣習の領域に沈潜することは、原理的に不可能であるだけではなく、近代の成果を放棄することでもある。そこで本研究ではパットナムの内的実在論を参考にしながら、現代において価値と事実が不可分なものとして認知される場をカントの言う超越論的観念性としての経験的実在性に定めた上で、その中で価値の多元性と相互承認を可能にするリベラルな徳の可能性を模索した。その際、あらゆる評価判断にたいして外在的で超越的な(近代倫理の)一元的原理が、必ずしも有効ではないことを明らかにした。
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