1996 Fiscal Year Annual Research Report
戦国期安芸郡山城と城下町吉田の構造と特質に関する史的研究
Project/Area Number |
07610341
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Research Institution | Hiroshima Women's University |
Principal Investigator |
秋山 伸隆 広島女子大学, 国際文化学部, 助教授 (60142337)
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Keywords | 戦国期城郭 / 戦国大名 / 毛利氏 / 城下町 / 郡山城 |
Research Abstract |
未刊史料を中心として、関係史料の調査・収集を引き続き実施するとともに、吉田町の現地調査を実施し、山麓の御里屋敷推定地の発掘調査の結果を検討した。あわせて、昨年度収集した明治期の地籍図、空中写真、および江戸期の絵図などを詳しく検討した。 その結果、江戸期の編纂物の記述に依拠した部分が多いと思われる通説的な理解を再検討し、室町・戦国・織豊期の郡山城とその城下吉田の全体的構造を考察した。 毛利元就家督相続時の郡山城に直接連続する城郭が築かれるようになったのは、15世紀後半のことと考えられ、16世紀初めの興元の代になると、恒常的に維持される「要害」の存在を確認できる。元就入城後の郡山城は、毛利氏の国人領主から戦国大名への発展にともなって、その規模を郡山全山に拡大する。城郭の拡大・整備が一応完了したと見られる永禄年間(1558〜70)前半の郡山城は、「城」と呼ばれる山上部分と「里」あるいは「麓」と呼ばれる山麓部分に区分される。「城」=山上には元就・隆元の居住施設があり、家臣のうち年寄・奉行衆などはそれぞれ特定の郭を抱え置くという形で居住した。「里」には、「里衆」と呼ばれる家臣の屋敷があった。「里衆」は「里」に居住し、主人の召に応じて「登城」したが、その主力は隆元の近習であった。天正10年代になると、輝元は郡山城の大規模な修築と城下の整備を意欲的に進めた。その重点は、城と城下の威容を整えるというところに置かれており、郡山城は軍事的施設であると同時に、政治的施設としての意味を強めていった。
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