1996 Fiscal Year Annual Research Report
明治・大正期における農業技術転換の社会経済的研究-広島・秋田両県の比較-
Project/Area Number |
07610356
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
勝部 眞人 広島大学, 文学部, 講師 (10136012)
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Keywords | 農業技術の革新 / 広島県農業 / 秋田県農業 / 地主制 / 神力 / 亀ノ尾 / 乾田化 |
Research Abstract |
本研究の目的とするところは、広島県および秋田県を対象として、明治中〜大正初・中期に地主制という枠組みのなかで新しい農業技術がどのように普及し、在来農法からのイノベーションを実現していったのかを具体的に跡付けることにある。本年度においては、広島県農業技術センターにおいて県内の土壌に関するデータ、『芸備農報』などの調査を行い、県南部において神力を軸とする晩稲多収技術が、北部において八反を軸とする中稲多収技術が展開したという見通しを得るに至った。こうした技術展開は改良犁導入・多肥化など諸側面の革新を伴うが、地域の農会や産業組合が共同購入などで側面から援助したのである。また秋田県農業試験場においても土壌データに関する調査を行い、乾田化を進めざるを得なかった土壌学的な裏付けを得ることができた。秋田県では明治末〜大正初期にかけて三県令による強権的農政が実施されこのなかで乾田化も強力に進められたが、そのさなかの明治44年雄物川流域平野部を中心に稲熱病被害が乾田に集中するという事件がおこった。旧県庁文書や石川理紀之助文庫伝習館などの史料から、この時の農民の動揺や一方でそれを乗り越えて乾田化を進める農民の姿が読みとれるのである。つまり小作農民らは「増収を念頭において」亀ノ尾などの品種を乾田に作付けしていたというのである。このように秋田県では、乾田化を進めつつ亀ノ尾を軸とする中稲多収技術の方向へ技術革新していった。ここでも農会や産業組合が一定の役割を果たしていたが、金肥の共同購入はほとんど見られず金肥施用は遅れていたであろうことと、乾田化→耕作法転換の定着の必要性から広島県の反収増大から約10年のタイムラグをもって生産力増大を実現していったという見通しを得るに至った。以上本年度の作業において大枠の見通しがついたが、来年度その詰めの作業を実施していくこととする。
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