1995 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
07620067
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Research Institution | Kokugakuin University |
Principal Investigator |
坂本 一登 国学院大学, 法学部, 助教授 (70178565)
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Keywords | 日本 / 天皇制 / 立憲君主化 / ドイツ / 制度化 / 君主権力 / プロイセン / ヴィルヘルム2世 |
Research Abstract |
今年度の研究は、日本の天皇制を念頭に置きながら、ドイツの「立憲君主化」について考察した。通常、近代国家の形成において、日本とドイツは似ているといわれる。しかし、君主権力の制度化の誠治過程は、むしろ正反対でさえある。明治国家が紆余曲折をたどりながらも立憲君主として天皇を制度化していくのに対して、ドイツにおいては君主権力の強大化がその特徴をなし、国王の親政を制度化する方向に動いていく。すなわち、あらゆる君主制が、近代という時代に入るとともに、立憲主義の圧力の下に、立憲君主制への道を歩み始めるわけではないのである。 ドイツの君主制を考える場合、強大な君主権力を思い浮かべるが、19世紀半ばまでは、ドイツは分裂国家であい、中心となる宮廷も存在せず、プロイセン王室も他国を凌駕するほどの軍事的、財政的力を持っていたわけではなかった。また、プロイセン国内でも、貴族や官僚に制約されて、国王権力が絶対的な力をふるったわけではない。 君主権力が増大していくのは、1871年の統一以後、プロイセンがドイツ帝国の盟主となってからのことであるが、そこでも当初はビスマルクに君主権力は抑制されていた。強大な君主権力の確立にとって決定的だったのは、ヴィルヘルム2世が即位語の10年間の権力闘争において勝利したことであった。ヴィルヘルムの勝利には、ドイツの政治的統一の問題や、君主に対抗した政治家たちのリーダーシップ、財源や人事権を含めた宮廷の構造などが、複雑に絡んでいる。しかし、日本においてまさに天皇が立憲君主化されつつあったほぼ同時期に、ドイツではヴィルヘウムが君臨もすれば統治もする君主としての地位を築きつつあったのである。
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