1995 Fiscal Year Annual Research Report
日中・太平洋戦争期における樺太植民地財政に関する実証的研究
Project/Area Number |
07630074
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Research Institution | Hokusei Gakuen University |
Principal Investigator |
平井 廣一 北星学園大学, 経済学部, 教授 (40156633)
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Keywords | 樺太 / 植民地財政 / 森林払下 / 日本帝国主義 |
Research Abstract |
当該期の樺太財政においては、租税収入の地位はあいかわらず低位で、基本的には森林収入、すなわち、エゾ松と椴松の払下収入に依存していた。その歳入総額に占める比率は日中戦争期と太平洋戦争期を通じて約30%程度であった。ただし、1943年度から樺太の内地行政編入に伴って郵便電信と鉄道収入がなくなるので、官業収入中に占める森林収入の比率は90%を越えている。 森林収入はパルプ資材と普通用材に区分される。樺太のパルプ生産は、製紙パルプは1937年度、人絹パルプは1940年度にピークを迎え、その後低落していく。また生産量は北海道を含む内地の製紙パルプが圧倒的であった。この動きと森林収入の動きと対応させると、森林収入がピークを迎えるのが1941年度であるから、払下は太平洋戦争期の増産をあてこんでのものとみられるが、実質は日中戦争期の初期で頭打ちとなるのである。また、増産を続ける内地のパルプ生産に対しては、樺太材は1937年度が移出のピークで、その後は逓減しているのでそれほどの貢献はしていない。 しかしそれでも樺太材の年間伐採=売払量は森林保護の基準である標準年伐量の2倍を越える2千万石を記録し、樺太庁も収奪林政と認めざるをえないような状況であった。そして1941年度には樺太庁の設置以降初めての本格的な産業開発計画として「樺太開発株式会社」が設置させ、同社は造林事業を一つの柱とした。しかし、その計画は資金不足で軌道に乗らず、しかも伐採した木材の内地移出も船舶不足でままならず敗戦を迎えるのである。
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Research Products
(1 results)