1995 Fiscal Year Annual Research Report
日本海とその周辺諸地域における地理的知識の形成と日本海の呼称に関する研究
Project/Area Number |
07680161
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Research Institution | Niigata University |
Principal Investigator |
青山 宏夫 新潟大学, 人文学部, 助教授 (00167222)
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Keywords | 地図史 / 地理的知識 / 環日本海地域 / 日本海 / 行基図 / 日本図 / イナッシオ・モレイラ / マテオ・リッチ |
Research Abstract |
古地図における日本海周辺地域の描出について、次の2点に注目して検討した。 1縁海としての日本海 この地理的知識は、中世末までの文献資料には散見されるが、行基図などの地図には見出せない。その最初期の地図はM.リッチの『坤輿万国全図』で、日本海という呼称の初見でもある。しかし、I.モレイラの日本図には、すでに日本海という呼称と縁海描出の条件である列島北部の立ち上がりあったと推定できる。 中心と周縁の構造からなる完結したコスモスをもつ行基図においては、海の対岸や海を具体的・個別的に認識する契機を認めがたい。縁海形成の条件である列島北部の立ち上がりを描出した初期の地図が、伝統的な行基図の構造から自由な立場にあったモレイラの日本図であったことは、注目すべきであろう。 2日本海の島々 止々島の記載は、海上交通の要地ということのほかに、北の境界神たる大物忌神(鳥海山)との関連、国土の北限たる佐渡との共通イメージなどが関与している。出羽沖の諸島が比定される象潟は、北の境界神たる鳥海山の北麓で、霊場蚶満寺もある。多島海の霊場である松島との相称的な描出と解釈できる。見付島は、日本では太平洋側に想定されているが、朝鮮製地図では日本海側に記載されている。しかし、15世紀の日本にも見付島が日本海側に存在するという知識が確かにあった。ここで注目すべきは、朝鮮の地図がこうしたより新しい地理的知識を採用しているのに対して、日本の行基図が伝統的な描出に固執している点であろう。このように日本海の島々の描出は、行基図の構造と密接に関わっていることが明らかになった。
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