1995 Fiscal Year Annual Research Report
日本の畠作に関する歴史地理学的研究-古代・中世を中心に-
Project/Area Number |
07680173
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Research Institution | Japan Women's University |
Principal Investigator |
伊藤 寿和 日本女子大学, 文学部, 助教授 (90223164)
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Keywords | 畠作 / 畑作 / 野畠 / 山畠 / 山畑(焼畑) / 平畠(里畠) |
Research Abstract |
本研究は、生産力と営農形態の差に基づいた畠作研究を進めるために、古代・中世の畠作を、当時の人々が認識していた基準にしたがって復原・検討を加えたものである。本粘度の検討によって得られた成果は、以下のようにまとめられる。1,中世前期(鎌倉時代)においては、すでに生産力と営農形態の差に基づいた畠(畠作)の弁別がおこなわれており、鎌倉幕府も畠作の重要性を認識し、「平畠(里畠)」・「野畠」・「山畠」・「山畑」などの地目を公認していた。2,「平畠」は、文字通り屋敷の周辺の平坦地に位置する安定した常畠の「里の畠」であり、荘園内では名に編成されて、他の地目の畠より高い額の地子が賦課されていた。3,「野畠」は、平安時代の後期には地目として成立していた。傾斜の穏やかな原野を伐り開くことによって一時的に耕作される地力の劣る不安定な「野の畠」であり、全国各地の洪積台地や自然堤防などの上で営まれていた。「平畠」と同様に名に編成されて検見・丈量がなされ、作物に応じた地子が賦課される場合もあった。冬作の麦をはじめとして、夏作の栗・稗・陸稲・大豆・小豆・桑・麻など多様な作物が栽培されていた。4,「山畠」も、平安時代の後期には地目として成立していた。山の斜面を代り開くことによって一時的に耕作される他方の劣る不安定な「山の畠」であり、「野畠」と同様に名に編成されて検見・大量がなされ、大豆・栗・蕎麦などの地子が賦課される場合もあった。5,「山畑」は、山の斜面を伐り開いて後に火を入れる焼畑であり、鎌倉時代の前期に地目として成立したと考えられる。「野畠」や「山畠」と同様に名に編成されて検見・丈量がなされ、大豆、小豆・麦などが栽培されていた。「野畠」・「山畠」・「山畑」は、畠の地目としては平安後期から近世へと継承されており、日本の畠作史の上において重要な位置を占める地目であると判断される。
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