1995 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
07680179
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Research Institution | Kurume University |
Principal Investigator |
堂前 亮平 久留米大学, 文学部, 教授 (50062857)
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Keywords | 寄留商人町 / 社会集団 / 商業空間 / 南西諸島 |
Research Abstract |
近代期の奄美・沖縄の主要な島の中心地において、寄留商人と呼ばれる他県および同県の他地域からの外来商人が、商店や事業所を構えて街を形成していた。本研究は、寄留商人という社会集団が形成する商業空間の形成と特質を考察するものであり、本年は沖縄について調査を実施した。沖縄諸島で寄留商人街が形成されていたのは、沖縄本島の那覇、名護、糸満、久米島の儀間、宮古島の平良、石垣島の四箇が主たるところである。 沖縄県外からの寄留商人が沖縄へ進出して経済活動を始めたのは、王府時代から見られたが、本格的には廃藩置県後のことである。寄留商人には鹿児島商人とともに大阪・福岡商人の二つの流れがあった。那覇では、県外からの寄留商人に加え、沖縄出身の商人によって、沖縄最大の商業地区を形成していた。特に、寄留商人の多く見られた商業地区は、東町大通り、大門通り、西武門通り、久米通りなどであった。 平良、四箇、儀間などの離島の中心地の場合は、県外の寄留商人に加え、那覇からの寄留商人の進出が顕著であった。とくに平良の場合には、中心商業地区を形成する50店のうち、宮古出身者の商品販売店としてわずか2店で、他は寄留商人であった。寄留商人は、砂糖や織物の買い継ぎ、呉服、雑貨などの卸小売業を営んでいた。またいずれの中心地においても、おもに買い廻り品を扱っている寄留商人街にたいして、地元住民によって魚・豆腐などの食料品を扱っていた市場が存在し、商業地域の分化がみられる一方、補完関係にもあった。寄留商人の店の従業員は番頭とよばれ、地元の人であった。 このような寄留商人街も第二次世界大戦末期の沖縄戦によって、県外からの寄留商人が引き上げたことや、戦争によって破壊されたこともあって消滅した。
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