1996 Fiscal Year Annual Research Report
マニラ中国人移民社会の変容と中国系メスティーンの興隆、1750年-1820年-スペイン領インディアスの中のフィリピン植民地社会経済史-
Project/Area Number |
07801050
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | College of Nagoya Women's University |
Principal Investigator |
菅谷 成子 名古屋女子大学短期大学部, 助教授 (90202126)
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Keywords | フィリピン / 中国系メスティーン / 華僑 / 華人 / インディアス |
Research Abstract |
本年度は、3年計画の2年目ということで、初年度に収集した史料の解読・分析作業を引き続き行うとともに、18世紀中葉から19世紀前葉に至るまでの時期について、マニラを中心とした中国人移民社会の実態、それと密接に関連する福建-マニラ間の中国帆船貿易の動向、スペイン領インディアスの統治政策の一環としての、フィリピン政庁の対中国人政策に関する資・史料を解読・分析し、検討を加えることを主とした。 その結果、この当時のマニラの中国人は、カトリシズムを受容し、現地女性との婚姻を通じて土着化し、現地社会との中国人移民社会を結び付ける機能を果たすと同時に、福建との人的関係も保ち、従来にも増してスペイン当局と福建の中国人を有機的に結び付ける仲介者としての機能を果していたことが明らかになった.その背景には、この時期のスペイン領インディアスを包摂するスペインの植民地統治政策の転換が挙げられるが、さらに、スペイン人による中国へのカトリシズム布教の可能性が断たれたことが関係していると推測できる。すなわち、中国布教の足掛りとして、マニラの中国人を改宗させるという時代は終わったのである。かわって、中国人移民を現地社会を構成する一要素と捉え、スペイン領インディアスを正統に構成する住民の資格要件として、フィリピンに定住を希望する中国人に対してカトリシズムの受容が義務づけられたことにより、中国人移民社会の変容、すなわち、現地化が促進され、これが、その後の中国系メスティーンの興隆に密接に関連しているのである。 また、本研究で得られた知見を含めて、京都大学東南アジア研究センター編『事典東南アジア-風土・生態・環境』(東京:弘文堂、1997年、本文617頁)の第4章「風土とその変貌」中の「ウォーレシアの風土」の節に、「スペインのフィリピン支配」および「マニラの出現と拡大」と題する2項を執筆した。
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