1997 Fiscal Year Annual Research Report
マニラの中国人移民社会の変容と中国系メスティーソの興隆、1750年-1820年-スペイン領インディアスの中のフィリピン植民地社会経済史-
Project/Area Number |
07801050
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Research Institution | Ehime University |
Principal Investigator |
菅谷 成子 愛媛大学, 法文学部, 助教授 (90202126)
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Keywords | フィリピン / 中国系メスティーソ / 華僑 / 華人 / インディアス / マニラ |
Research Abstract |
本年度は、3年計画の最終年度ということで、過去に収集した史料の解読・分析作業を引き続き行ったが、特に本研究の主題をなす18世紀中葉から19世紀前葉に至るまでの時期について、さらに検討を加え過去2年間の研究結果を踏まえて、この時期のスペイン領インディアスを貫く統治政策の変更と中国人移民社会の変容、さらには中国系メスティーソの興隆の関係を歴史的に跡づける作業を行った。また、上智大学図書館において新たに閲覧可能になった「ガルシア」コレクションを調査し、特に、19世紀中葉のマニラに関する文献の収集を行った。本年度は、各種文書の中でも、特に、中国貿易帆船(チャムパン)の船主、船客あるいは客商、および移民に対してスペイン当局が交付した各種の許可証の内容を詳細に分析した。本成果の一部は、冊子体の成果報告書に掲載した。これらの許可証を検証することは、当該期のスペインの対中国人政策を総合的に理解するのに役立つ。それは、その当時、スペイン当局がフィリピンに来島する中国人を一時滞在者(異教徒)と永住的な居住者(カトリック)に分けて把握したが、前者を「外国人」とみなして、貿易期間中の乗組員や船客の管理を専ら船主に任せ、後者を、カトリシズムを受容したインディアスの一部であるフィリピンに属するスペイン国王の臣民として管理したことが窺えるからである。また、従来の華僑史の立場からは、中国人に対する種々の許可証の交付がスペイン当局による抑圧策の一環として据えられがちであったが、必ずしもそうではない。すなわち、その当時、インディアスは、総体として重商主義的な排他的な一種の経済圏を構築しており、欧米系の外国人がフィリピン諸島を含めてインディアス領内に許可なく居住したり経済活動に従事することは原則として許可されなかった。それゆえ、彼等が、例えば、短期に滞在する場合も許可証が必要とされていたのである。
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