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1995 Fiscal Year Annual Research Report

母の親権と「母性」-近代日本における家父長制と教育の交錯

Research Project

Project/Area Number 07851034
Research InstitutionTakasaki University of Health and Welfare Junior College

Principal Investigator

広井 多鶴子  群馬女子短期大学, 教養部, 講師 (90269308)

Keywords親権 / 母性 / 近代家父長制 / 近代公教育制度 / 家族制度 / 母親 / 親子関係
Research Abstract

本研究では、明治初年から明治31年の民法制定までの期間において、誰が子に対する権限を持っていたのかを分析してきた。具体的には、勘当・久離の制度、就学義務制度、後見制度といった明治前半の法制度の変遷と、明治民法の編纂過程を研究対象とした。
この研究を通して次のことが明らかになった。第一は、明治初年に後見人制度が新たに設けられることによって、従来子に対する公然の地位を持たなかった武士の母は、ばじめて子を後見する権限を持つことになった。他方、庶民の母は、子の家督相続が優先されたため、「後家」として家を統率する地位を子に奪われ、子の後見の地位に退けられた。
第二に、こうした母の権限は、明治初年には非常に下位に位置づけられていた。勘当・久離の権限は「父兄」が持ち、子を就学させる責任も「父兄」にあるとされ(学制)、後見も「父祖」がまずは行った。このように「父祖」や「父兄」、すなわち父、祖父、戸主といった「総領男子」が優先されたため、母は父のみならず祖父よりも下位にあった。
第三に、しかし、親子の「自然」の関係が重視され、子どもの利益が言われるようになる中で、明治民法は父と同様に母の親権を<所有>することを認めた。もっとも、母は父がいる場合には親権を<行使>しえなかったが、その理由はもはや「総領男子」という「家」の論理によるものではなく、子に対する教育の一貫性を保つためであるとされた。
以上のように、明治民法の親権は、男性優位の絶対性を失うことによって、母に親権の<所有>を認めるとともに、子に対する教育の一貫性という新たな意味付けを見い出すことによって、かろうじて父の親権<行使>の優先性を正当化しえたのであり、その意味で封建制度とは異なる近代の家父長制だった。

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Published: 1997-02-26   Modified: 2016-04-21  

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