1998 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08451100
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Research Institution | The UNIVERSITY OF TOKYO |
Principal Investigator |
田村 毅 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (90011379)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
福田 耕介 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 助手 (30292741)
塚本 昌則 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 助教授 (90242081)
中地 義和 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (50188942)
月村 辰雄 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (50143342)
塩川 徹也 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (00109050)
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Keywords | フランス文学 / ディスクール / 私 / 中世叙情詩 / エセー / 自伝 / プルースト / モーリヤック |
Research Abstract |
一人称単数形の代名詞「私」は、物語、小説の語り手として、またエッセイ、叙情詩の発話者として、多くの文学的テクストのディスクールを支えてきた。さらに自伝や書簡文学のようなジャンルでは、発話の内容を統括し、作品と現実世界とをつなぐところの、真実性の根拠としての機能をはたしてきた.いわば文学行為に内在する普遍の常数として、古典古代以来「私」は怪しみもせずに用いられ続けている。 しかし、この「私」が作者の自我とどのようなつながりを持ち、彼の内密の自意識をどのように反映するのかという問題になると、その解答は容易ではない。従来はロマン主義的な自我の覚醒という現象を境界とし、その前後において作者の自我と語り手の「私」とのあいだの親疎の度合いの変化を見るというのが、この問題のほとんど唯一ともいえるアプローチの方法であった。だが、それはまず19世紀を中心とする近代文学に焦点を合わせた説明原理であって、近代以前の「私」のディスクールについてはなにも明らかにしていない。また、いわゆるポストモダンの文学における「私」の変調ないし崩壊は射程に入り得ない。 今回私たちが進めた共同研究「フランス文学における「私」のディスクール」は、文学史が取り残して来た感のあるこの文学的ディスクールの支え手「私」を時代的にもジャンル的にも多岐にわたる方面から考察したものであり、中世叙情詩の「私」、エセーの「私」、自伝の「私」、レトリックの「私」に検討を加え、さらに語り手「私」について特徴的な論点を提示するロートレアモン、プルースト、モーリヤックという個別の作家を選んで作品分析を行い、目覚ましい成果をあげた。
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Research Products
(7 results)
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[Publications] 月村辰雄: "イエズス会のレトリック教科書" 科研報告書「フランス文学における「私」のディスクール」. 5-15 (1999)
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[Publications] 中地 義和: "Ze bruit de la wuree venant de l'Occident-Verlaine et la ptesie japonaise" Paul Verlaine,colloque la Sovboune (論集). (近刊). (1999)
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[Publications] 中地 義和: "「モデルニテ」と「逆説」" A.コンパニョン著『近代芸術の五つのパラドックス』(水声社刊). 訳者解説(近刊). (1999)
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[Publications] 福田 耕介: "「内」と「外」-モーリヤック小説における風景描写の一側面" 『仏語仏文学研究』. 第18号. 75-84 (1998)
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[Publications] 塚本昌則: "Valerg et les choses vagues" Paul Valery Dialogue Orient et Occident.(近刊).
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[Publications] 田村毅(共訳): "ネルヴァル全集 第III巻" 筑摩 書房, 717 (1998)
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[Publications] 塩川徹也(共著): "新・哲学講義2 神と実在へのまなざし" 岩波書店, 219 (1998)