1996 Fiscal Year Annual Research Report
戦国・織豊期における大友・黒田氏領国の農民支配について
Project/Area Number |
08610348
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
外園 豊基 早稲田大学, 教育学部, 教授 (60099653)
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Keywords | 荒田 / 一揆 / 失人 / 大友氏 / 黒田氏 / 小農民 / 太閤検地 / 豊臣秀吉 |
Research Abstract |
天正6年(1578)大友宗麟は日向耳川の戦いにおいて島津氏に大敗すると北部九州の大友氏支配下であった諸勢力は相次いで反大友氏に転じた.大友氏の本国である豊後国においては島津氏による農民の拉致や略奪などが頻繁に行われ,その被害は甚大なものであった.同15年(1587)九州を平定した豊臣秀吉は,黒田孝高に豊前国を,大友義統に豊後国を与えた.豊前国では同15年,豊後国では同17・19年にそれぞれ検地が行われている.黒田氏の検地は指出し検地と思われる.黒田氏は入部直後に城井鎮房らによる仲直り一揆に出あっているが,それをまもなく鎮圧した.大友・黒田両氏の領国にあっては在地領主による支配が強く残っており在地性が払拭されていない.それゆえ農民の自立度は低く,商品生産,流通などは活発でない.朝鮮侵略に大友・黒田両氏とも加わっているが,その際大友義統に卑怯な振舞いがあったとして,豊臣秀吉は文禄2年(1593)大友氏の所領を没収している.同年の豊後国検地帳には多くの失人や荒田の存在が確認されている.朝鮮侵略に代表される豊臣政権による苛烈な陣夫後徴収策などが荒田・失人状況を怠起しために小農民が不安定な状況に陥るということが想定される. 天正末年におけるいわゆる太閤検地において,両氏の領国においても小農民自立対策がとられ,小農民が年貢負担者として認められた.しかし,その後に続く荒田・損耗状況等は小農民のい存在をきわめて不安定な存在として位置付けた.多くの失人の存在が物語のように,かかる状況下において小農民の多くが没落し,あるいは不安定なまま次の時代を迎えた.
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