1998 Fiscal Year Annual Research Report
シーボルト書簡(1821年-1831年)の解読研究
Project/Area Number |
08610355
|
Research Institution | Nagasaki Junshin Catholic University |
Principal Investigator |
宮坂 正英 長崎純心大学, 人文学部, 助教授 (00269101)
|
Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
石川 光庸 京都大学, 総合人間学部, 教授 (00051681)
|
Keywords | シーボルト / ブランデンシュタイン家文書 / 日欧交渉史 |
Research Abstract |
本研究の目的は、文政年間に来日し、日本に西洋近代科学を伝え、また、西洋における日本に関する科学的研究の道を開いたドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの書き残した私信を中心とした文書資料を解読、整理し翻訳を行うことであった。 研究3年目にあたる平成10年度は、対象資料であるドイツ在住のシーボルト末裔フォン・ブランデンシュタイン家が所蔵するシーボルト関係文書中から1822年から1823年にかけて出されたシーボルト宛の書簡ならびにシーボルト自筆の書簡下書きを抽出し、翻刻、翻訳作業を行い、また、基礎資料として1822年から1850年までの書簡のデータ・ベース化を行った。これに合せて、シーボルトの交友関係を確定するのに必要な資料、今日までに公刊されたシーボルト書簡の確認作業などもおこなった。研究作業の過程で明らかになった新事実として、シーボルトがオランダ領インド陸軍の軍医に採用され、オランダからバタヴィアへ出港するまで、シーボルトの調査の目的地が日本ではなく、バタヴィアであったことが確認できた。また、シーボルトの育ての親である叔父ヨーゼフ・ロッツは、シーボルトのオランダ領東インド行きにはあくまで反対であり、シーボルト家の伝統である医業を継ぎ、故郷ビュルツブルク大学の私講師(Privat Dozent)を目指すことを薦めていたことがわかった。このことから、シーボルトの東洋への研究旅行はあくまで個人的な動機で行われたことで、家族の同意は得ていなかったことがわかった。 今後、引き続き私信の解読をすすめ、シーボルトの交友関係や日本行きの動機、オランダ政府の意向などについて調査を継続するつもりである。
|
-
[Publications] 宮坂正英・石川光庸.ベルント・ノイマン: "シーボルトの対日開国政策(3)-ブランデンシュタイン家書調査報告" シーボルト記念館鳴滝紀要. 第7号. 50-70 (1997)
-
[Publications] 宮坂正英.石川光庸.ベルント・ノイマン: "ブランデンシュタイン家文書に見られるシーボルトの和歌研究について" シーボルト記念館鳴滝紀要. 第8号. 37-68 (1998)