1996 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08610363
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Hirosaki University |
Principal Investigator |
井上 徹 弘前大学, 人文学部, 助教授 (20213168)
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Keywords | 宗法 / 宗族 / 聖諭広訓 / 祠堂制度 / 義荘 / 宗祠 |
Research Abstract |
本研究では、宗法という原理に基づいて父系親族を組織しようとする士大夫の考え方を宗法主義(宗法復活論)、またその実践の動きを宗族形成運動と呼んでいる。本年度の研究計画では、明代中葉に本格化した宗族形成運動が清代江南(蘇州)社会にどのように定着したかを検証し、あわせて19世紀中葉以降の近代における宗族の実態との関連を探ることを掲げた。この課題に取り組むに際して注目したのは、宗法主義に対する国家の政策の変化である。最初にこの問題に直面した明朝は公式の礼制(祠堂制度)において、宗法主義の捨象を表明したが、清朝の政策には変化が見られる。乾隆年間に制定された公式の祠堂制度は、明朝の方針を踏襲するものであり、宗法原理を認めていない。しかし、それに先行して発布された雍正帝の「聖諭広訓」第二条は、宗法の実践の手段として位置づけられてきた祠堂(宗祠)、義田、家塾、族譜、こうした一連の装置の設置を推奨している。それのみではない。清朝の皇帝は、宗法の体制を整備し、宗族の模範とみなされた蘇州の范氏義荘を手厚く保護しており、同上第二条も、范氏のそれを念頭に置いたものと考えられる。更に、公式に祠堂制度が制定された乾隆年間、清朝は、江蘇巡撫・荘有恭の要請を承けて、祀産・義田・宗祠はともに宗族共有財であるという判断に基づき、子孫による私売(及び私買)の行為を犯罪(「盗」)とみなし、その包括的な保護を条例化した。すなわち、清朝は、宗法に基づいて、族人を統合し、あるいは義田、族譜、家塾等をその物的基盤とすることを礼制の枠外に置いて、実質的には容認する現実対応的な政策をとったと考えられる。こうした政策の変化は、江南における宗族形成運動の世論を受けたものと推測される。荘有恭の上奏文には、義荘や宗祠が江南に定着していることを示す記述があり、現在、これを手がかりとして、蘇州を中心とした宗族定着の実態を明らかにする作業を進めている。
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