1996 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08610518
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Hiroshima University |
Principal Investigator |
石川 達夫 広島大学, 総合科学部, 助教授 (00212845)
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Keywords | プラハ / チェコ / ユダヤ |
Research Abstract |
プラハのユダヤ系ドイツ語作家アイスナ-が、「この国の宿命は、チェコとドイツとユダヤの三つの文化の共生である」と述べたように、プラハでは古くから、チェコ・ドイツ・ユダヤの三つの文化が共生し、葛藤と混交の歴史を展開してきた。プラハではもちろん、ユダヤ人に対する迫害も繰り返し起こったが、概して、他のヨーロッパ諸国に比べると、プラハはユダヤ人に寛容だった。特に、第一次大戦後に成立したチェコスロヴァキア共和国は、チェコの思想家で初代大統領となったマサリクが反ユダヤ主義と闘った影響もあって、ヨーロッパで最もユダヤ人に対して寛容な国となり、ユダヤ人の民族籍を公式に認めた、ヨーロッパで唯一の国であった。このようなチェコの歴史と、概してプラハにおけるチェコ・ドイツ・ユダヤの三つの文化の葛藤と混交の濃密さの故に、プラハでは独持の興味深い文化が形成され、中世のユダヤの貴重な文化的遺産や、カフカ、リルケなど、ユダヤ系の文化人の遺産が残された。特に興味深いことは、文学における言語的な共生である。もっぱらプラハのドイツ語作家として知られるカフカがチェコ語もできたことは知られているが、カフカの友人で彼にヘブライ語も教えたユダヤ系のイジ-・ランゲルは、ドイツ語、チェコ語、ヘブライ語の三つの言語で作品を書き、その兄のフランチシェク・ランゲルは、チャペックに近いチェコ語作家となったというように、ユダヤ人には複数の可能性が開かれていた。また、チェコ人作家たちも、例えばゴ-レム伝説など、ドイツはもちろん、ユダヤの要素も取り入れた作品を書き、ドイツ人作家たちも、チェコとユダヤの要素を取り入れた作品を書いている。このように、プラハの文化史では、チェコ・ドイツ・ユダヤの三つの文化の葛藤と混交が、極めてダイナミックな役割を果たしてきた。この具体的な諸相を発掘し分析することが、今後の研究の大きな課題となる。
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