Research Abstract |
今年度の研究による新たな知見として,1800年から1914年の時期に,グレートブリテンとアイルランド間における地方税=地方レヴェルと国税=中央レヴェルの双方での,財政問題に対する政策的対応策を,アイルランド統治問題の解決策との関連で,概略,次のように,ほぼ解明しえた。 すなわち,1800年の議会=立法的合同に続く自由主義期における国庫=財政的合同の実現後,19世紀末「農業大不況」により,アイルランド農業問題→地方・国家財政問題→統治問題が深刻化したこと。これに対して,(1)地方レヴェルで,1898年に「地方政府(アイルランド)法」が制定され,「カウンテイ議会」等の代議制議会が成立されるとともに,「農業補助金」等の新たな国庫補助金が規定され,とりわけ地主階級が地方税負担から免除されたこと。その後(2)国家レヴェルで,このような国庫補助金交付,さらに20世紀に入ってからの老齢年金開始等により,アイルランドの「本当の収入」からの「地方的支出」が急増し,「帝国醵出」がマイナスに転化した。その結果,1912年,首相アスキスは,「自治は,アイルランド人達に・・・節約への直接的関心及び・・・浪費に対する直接的責任を与える・・・手段である」と主張して,第3次「アイルランド統治法案」を上程し,同法は,1911年の「国会法」の規定下に,1914年に成立したこと,である。 以上の1914年法成立に至る財政史的背景を踏まえて,今後,1920年「アイルランド統治法」成立,更には1922年「アイルランド自由国」成立のもつ国制史的意義を解明していく予定である。
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