Research Abstract |
今年度は,研究の初年度として,戦前期の文献・資料の収集と関係者のヒアリングに努めた。文献・資料としては,年鑑,無線関係雑誌,新聞などであり、関係者のヒアリングとしては,戦前の3大セット・メーカである松下,早川,山中の関係者,部品メーカである東京電気,老川工芸,久保田無線の関係者などである。また,戦時中の技術者運動の関係者にもインタビューを行った。その結果,得られた主な知見は以下のとおりである。 1.ラジオ放送開始当初の電子部品は,真空管,バリコン,トランス,蓄電器などを除けば,セット・メーカやセット使用者の自作によるものが多く,受動電子部品産業はほとんど成立していなかった。ラジオ工業と分かちがたく結びついていたといえる。 2.ラジオ・セットは,鉱石式から真空管式へ,エリミネータ化,トランスレス方式の登場など,進化を続けたが,それにともない受動部品にも高度な性能が要求され,1930年代半ばにはドイツ・ジーメンスの手法に基づく炭素皮膜抵抗器や電解コンデンサなど,専門メーカによる高度な製品が登場,普及した。受動電子部品産業の形成である。 3.しかし,日本のラジオ市場は安価なセットへの需要が強く,メーカが欧米とは違って中小企業であったこともあり,欧米などの製品の粗悪な模倣品の供給が横行した。回路方式も,欧米のようにスーパー・ヘテロダインは普及せず,1930年代半ばには,いわゆる「並4」の流行という日本独特の現象が現れた。セットの技術革新は停滞するのである。 4.それは電子部品産業にも影響した。部品に対する性能上の要求は欧米に比べると厳しくなく,むしろ低価格の要求が優先された。部品産業でも,優秀製品の模倣品など粗悪な製品が横行した。戦前の電子部品産業では,製品革新への動力が乏しく,しかもそれを実現していくメカニズムに欠陥があったといえる。
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