1996 Fiscal Year Annual Research Report
近世における浄土真宗寺院建築と本末制度による諸規制との関係に関する基礎的研究
Project/Area Number |
08650747
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Kyoto Institute of Technology |
Principal Investigator |
日向 進 京都工芸繊維大学, 工芸学部, 教授 (60111994)
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Keywords | 近世 / 浄土真宗 / 本末制度 / 本堂 |
Research Abstract |
寛文8年(1668)、徳川幕府は作事(建築)禁令を発する。それは、規模・意匠の両面で中小寺院の建築を制限するものであった。中心となるのは梁間規制で、梁行総柱間が6間以内に抑えられた。 一方、浄土真宗では本山が18世紀前半に多数の掟状を末寺に布達する。正徳3年(1713)の掟状に注目すると、「御厨子、宮殿、出仏壇、後門、丸柱、箱棟等」の作事はかねてより「御停止」であるが、「子細」ある寺は本山の許可を得れば作事できる、というものである。また延享3年(1746)の掟状は、「仏室、内陣金張付、出仏壇」など、定めの通札銀を支払えば作事を許可するという内容で、作事の許可制を広げていった様子を窺うことができる。後門形式が18世紀中期に一斉に採用され始め、丸柱も18世紀に入ると急速に普及するという、遺構を通じて認められる変化は、こうした規制内容の改定に伴うものと考えられる。 18世紀前期から中期にかけて頻繁に発せられた規制が、礼銀による許可制荷移行していった背景として、中小寺院の経済的発展、また延享3年の掟状は15年後に迫った宗祖親鸞500回忌に必要な経費の確保が目的ではなかったかと考えられる。 浄土真宗本堂の近世における展開は、寺格に応じて大きな差があり、後門形式や丸柱の普及については寺格の高下によって時期的な「ずれ」が明確に認められる。こうした変化は、幕府・本山による建築規制の影響を強く反映していると考えられる。
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