1996 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08710220
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Research Institution | University of Tsukuba |
Principal Investigator |
郡司 淳 筑波大学, 歴史・人類学系, 助手 (70280906)
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Keywords | 徴兵制 / 軍事救護法 |
Research Abstract |
本研究では、軍拡によって現役徴集人員が飛躍的増加をみた日露戦後から兵役法が成立する1920年代後半までを主たる分析対象として設定し、軍と社会の関係を中心に据え、総力戦体制創出の前提となる軍事的社会基盤の存在形態を解明することをめざしたものである。具体的な作業としては、当該期における軍事援護に注目し、1917年に制定された軍事救護法の受容をめぐる軍と兵士の対応のありかたを検討した。内務省は、救護の手続き・執行機関について各々「出願主義」「住所地地方長官主義」を採用し、「濫救」防止の最優先に掲げて救護にのぞんだ。これに対し軍は、憲兵隊や隊付将校が事実上「救護委員」の役割を果たすことで、内務省の統制の下で一元化された救護のプロセスに介入しようとした。その理由としては、現役兵の確保という純軍事的要請のならず、シベリア戦争によって国民的基盤を喪失した軍の現状に対する危機感があげられる。しかし救護は、他者の救済を恥とする社会風潮の下におかれた兵士と留守家族にとり、これを受け入れることがムラ社会における村民としての場の喪失を意味しただけに忌避されねばならなかった。かつ軍事救護法は、「兵役義務ノ拡張」という本質的一面を有するが故に、民衆の抵抗にも遭遇することとなった。そのさい「出願主義」は、救護を本人の自由意思に任すものだけに、民衆に抵抗の論理的根拠を与えることともなったのである。本研究では、こうした救護の史的構造をあとづける作業をとおし、当該期における軍事的社会基盤の存在形態の一端をあきらかにした。
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