1996 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08750747
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Research Institution | Shinshu University |
Principal Investigator |
土本 俊和 信州大学, 工学部, 助教授 (60247327)
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Keywords | 廃仏毀釈 / 松本城下町 / 開智学校 / 寺院 / 学校建築 / 近代化 |
Research Abstract |
本研究は廃仏毀釈を都市計画との関係で位置づけた。廃仏毀釈を文化財保護の側面のみで扱ってきた従来の研究は、近代以前の文化遺産を積極的に蔑ろにする契機として廃仏毀釈を位置づけてきた。しかし、大寺院の周辺に位置した子院塔中や寺院の領有地が解体されたことは、都市計画に下地を与えたという意味で近代化の条件であった。事実、明治の公共建築の立地場所は、旧寺領である場合が多々ある。この関係の実態を、廃仏毀釈が徹底的に断行された地域の都市計画を再検討することにより、廃仏毀釈の都市計画的位置を本研究は把握した。廃仏毀釈が断行されたとされる地域は、(1)信州松本藩、(2)伊勢山田、(3)土佐、(4)薩摩、(5)美濃苗木、(6)隠岐、(7)富山藩、(8)佐渡、(9)讃岐多度津藩、(10)奈良、(11)京都である。これらの地域は、藩領と幕府直轄地に大きく分かれる。藩領として、(1)信州松本藩、(3)土佐、(4)薩摩、(5)美濃苗木、(7)富山藩、(9)讃岐多度津藩がある。幕府直轄地として、(2)伊勢山田、(6)隠岐、(8)佐渡、(10)奈良、(11)京都がある。藩領に対して廃仏毀釈が断行された主要都市として、信州松本藩に注目した。とくに都市計画的に位置づけるために松本城下町を分析した。松本藩の中心たる松本城下町では、廃仏毀釈を介して以下の四点が読み替えられた。第一、寺地は県の土地になった。第二、寺院の本堂は学校建築になった。第三、仏教の活動は近代教育に替わった。第四、壇家の布施が有志の寄附に変化した。このように旧寺領の権原を解体しながら寺院の転用を計画した松本藩において学校の前身は寺であった。とくに明治初頭に造られた開智学校(現・重要文化財)は、全久院という寺院を一時的に学校に転用したのちに全久院の建物を解体しながらその境内の空いた土地で部分的ながら古材を用いて造られた建築であった。他方、幕府直轄地に対して廃仏毀釈が断行された主要都市として本研究は奈良のなかの興福寺領に注目した。
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