Research Abstract |
平成10年度の課題は,1.アリストテレース『詩学』における「カタルシス」の意味の見極め,2.アリストテレースの踏まえていた「ムーシケー」概念の内包の確定であった.前者はおおむね達成され,後者については明確な手がかりが得られた. まず,悲劇が「達成」すべき目的として定義づけられる「カタルシス」については,『政治学』第8巻第7章での音楽の「カタルシス」効果の論議との関係においてこれを理解するのか通説であったが,資料伝承の吟味と文脈の比較とから,両者は切り離されるべきであることが明らかになった.ここから,『詩学』の「カタルシス」が,音楽のそれと違い,全面的に感情の領域には限定されないことが,帰結する.このことは,悲劇の働きを,アリストテレースとともに,現実世界の有様の解明に見る私の基本的理解と一致する. 他方,詩的ミーメーシスと音の操作としての音楽は,プラトーン以前は言うまでもなく,アリストテレースにおいても,なお一体をなす面があると思われるが,事柄を一旦アリストテレースの外側から見定めるため,古代音楽思想の集大成とも言えるボエーティウス『音楽教程』を取り上げ,その中でのmusicaの概念を検討した.その結果,ここでのmusicaは,言語(歌詞)と一体ではなく,また宇宙や人間の構造そのものとしてあるのでもなく,あくまでも音響現象と考えられていることが,テクストの分析から明らかになった.つまりボエーティウスにおけるmusicaは,我々が「音楽」と呼ぶ概念と内包を一にする.これとの比較において見るならば,『詩学』における音楽概念は,第1,2章に出現するauletike,kitharistikeの位置づけに明らかなように,詩と未だ画然とは区別されていないことがわかる.
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