1997 Fiscal Year Annual Research Report
院政期仏画における図像の継承と変容に関する基礎的研究
Project/Area Number |
09610061
|
Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
|
Research Institution | Kanda University of International Studies |
Principal Investigator |
吉村 稔子 神田外語大学, 外国語学部, 講師 (80265488)
|
Keywords | 鳥羽上皇 / 十二天像 / 疎荒 |
Research Abstract |
本研究は院政期仏画における図像の継承と変容に関する基礎的研究として図像分析のための基礎資料の作成と、その院政期仏画への応用を試みようとするものである。図像分析のための基礎資料については、中国、日本の仏画の編年資料の作成に着手した。また院政期仏画の作品研究については、平成9年度には京都国立博物館保管十二天像(国宝)12幅を主要な対象として調査に着手した。 京博本十二天像はもと東寺に伝来し、『東宝記』等によりその制作の経緯が知られている。大治2年(1127年)東寺宝蔵が焼失、真言院十二天五大尊も焼けた。このとき焼けたのは長久元年(1040)図絵のものという(長久本)。ときの東寺長者は覚仁に命じ、先年小野曼茶羅寺経蔵にあり今宇治経蔵にある大師御様十二天五大尊を本様として描かせた(大治甲本)。ところがそれが「疎荒」であるとの鳥羽上皇の咎めにより、重ねて仁和寺円堂後壁画を手本に描かせたという(大治乙本)。 現存する十二天像12幅には多様な画風が認められ、とりわけ梵天、風天2幅の相違が指摘されている。この問題については、制作年代の相違と解して2幅を長久本10幅を大治乙本に当てる説、作者の相違と解して10幅を大治甲本2幅を大治乙本に当てる説、12幅すべてを大治乙本に当てる説がだされている。しかしながら梵天、風天の2幅は他の10幅に比して古様と考えられ、そこに1世紀近い年代差を想定することは困難としても、12幅一具とみなすことも躊躇される。10幅は大治乙本と考えられるが、残された問題は大治甲本が「疎荒」とされた理由と関連して解明されなければならない。
|