1999 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本における親と子の制度化過程-子どもを保護する制度の原理分析
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09610294
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Research Institution | Takasaki University of Health and Welfare Junior College |
Principal Investigator |
広井 多鶴子 群馬女子短期大学, 国文学科, 助教授 (90269308)
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Keywords | 親権 / 親子関係 / 主婦 / 未成年後見 / 就学義務 / 民法 / 家政書 |
Research Abstract |
本年度は、まず、親の権限が他の親族や地域から独立することによって、親のみが子どもに対する〈自然〉の権利を持つものと、法制度上捉えられるようになる過程を論文にまとめた。 1872(明治5)年前後に相次いで出された新律綱領や改定律例、監獄則、学制といった法制度では、子の養育に関する主体を表わすことばとして、主に「父兄」や「子弟」「子孫」という表現が用いられていた。それは、子の養育は親の任務というよりは、「子孫」を育成するための「父兄」の任務として把握されていたからだろう。だが、1880(同13)年頃になると、「父兄」や「子弟」といったことばが消え、子どもに関して「子」「者」「幼者」「学齢児童」といったより抽象的・一般的な法律用語が用いられるようになる。このことは、子どもという存在が、家の「子孫」であることを脱して、親子関係の中に位置づけられるとともに、法的・国家的な意味づけを獲得するようになったからではないかと思われる。同時にこの時期、子育ては親の〈自然〉の任務であるとする論理が主張され始め、戸主かどうかに関らず親が他の親族に優先して子どもの教育責任を持つという発想が法制度上に登場する。 こうして子育てが〈親〉の責任と見なされることによって、母の役割も変化していく。これまで母親は必ずしも子育ての担い手として見なされていなかったのが、母親こそ〈自然〉な教育者であると言われるようになるのである。このことを裏づけるために、明治期の家政書に登場する〈主婦〉ということばの変遷を分析し、論文にした。江戸時代の家政書は家の主人のためのものだったが、明治以降の家政書は、妻のための家政書へと変化する。明治初年に「使用人に対する主」という意味で登場する主婦ということばは、明治20年代になると、「家事・育児の担い手」へと意味を拡大し、それとともに、家事・育児は主婦の天職であると見なされるようになるのである。
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Research Products
(2 results)