2000 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本における親と子の制度化過程-子どもを保護する制度の原理分析
Project/Area Number |
09610294
|
Research Institution | Junior college of Takasaki University of Health and Welfare |
Principal Investigator |
広井 多鶴子 群馬女子短期大学, 日本語コミュニケーション学科, 助教授 (90269308)
|
Keywords | 離婚 / 子の帰属 / 親権 / 監護 / 家 / 成年 / 未成年 / 明治民法 |
Research Abstract |
本年度は、まず、一昨年来研究を重ねてきた離婚後の子の帰属について、比較家族史学会で発表するとともに、比較家族史学会編『比較家族史研究』に投稿した。明治期の離婚後の子の帰属については、従来、「家」制度の影響が注目されてきた。だが、明治民法が離婚後親権を母に認めなかったのは、「家」の論理というよりは、親権は国家社会の利益に直接関わる「公益規定」であるがゆえに、親の都合によっては変更できないという法解釈であった。子どもの育成に対する国家的な利益の着目が、父に子どもの養育と保護を義務づけることになったことがわかる。 次いで、〈成年〉制度の成立史を分析し、論文にまとめた。成年が満20歳以上のものと定められたのは、明治9年太政官第41号布告であった。この布告は、ほぼ15歳で成人と見なしてきた従来の慣習を否定し、フランス民法を参照して、ともかく早急に「一般ノ制」を作り出すことを主眼とした。その結果、15歳を基準としてきた従来の制度や慣習との間に齟齬を生み出すこととなり、新たに満20歳を基準とする制度を創出しなくてはならなかった。また、20歳まで成年年齢を引き上げた結果、その後、工場法や少年法といった個別の法によって、20歳に至るまでの間に、様々な年齢区分が設けられることになった。このように、明治9年に始まる新たな成年制度は、保護され教育される存在としての未成年の期間を満20歳まで延長するとともに、引き伸ばされた未成年の期間を様々に区分する法制度を生み出したのである。そうした年齢の線引きは、未成年の役割や能力、発達段階といった年齢規範を制度化するものでもあった。
|