1998 Fiscal Year Annual Research Report
帷幄上秦制御の実態研究-帷幄上秦書データベースの作成-
Project/Area Number |
09610332
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
永井 和 京都大学, 文学研究科, 教授 (40127113)
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Keywords | 帷幄上秦 / 統師権 / 軍部 / 政軍関係 / 日本近代政治史 |
Research Abstract |
今年度は、惟幄上奏書の登場の前提となる天皇決裁太政官文書の起源とその様式の変遷について調査した。なぜならば、明治11年12月以降に出現する惟幄上奏書の様式は文書学的には明治11年6月7日付の奏請書(奏請者は三条太政ぢ甚、岩倉右大臣、案件は「陸軍仰山有明砲兵支敵為見学大坂表出張之儀」)と初出とする天皇決裁文書の様式がそれ以降も保持され、惟幄上奏書として内閣(大臣)上奏書と分離された後も継続したととらえられるからである。そして、文書学的にきわめて重大な事実であるが、内閣(太政大臣)の奏請者に天皇が決裁印を捺印する(天皇の決裁印が捺印された文書の出現する)のは、明治10年9月以降の現象なのである。それ以前には天皇の決裁文書なるものそれじたいが存在しないのである。 今年度は太政官文書の中の『官付原案』原本第一〜第十四(明治四年〜明治十年)に収録されている太政官の重要決裁文書の様式の変化を調査し、文書学的には天皇の親裁は明治六年の太政官職制変革でその実現がめざされるが、挫折し、ようやく明治10年9月になって定着する。これは明治10年9月7日付の「謹奏内閣参朝公文奏上程式」によって定式化された文書決裁方式にもとづくものである。文書学的には天皇の万機親裁は明治10年9月からはじまったものである。
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