1999 Fiscal Year Annual Research Report
文禄慶長の役講和関係史料の研究-「事大文軌」収録文書のデータベース化
Project/Area Number |
09610352
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Research Institution | Fukuoka Jo Gakuin University |
Principal Investigator |
佐島 顕子 福岡女学院大学, 人文学部・日本文化学科, 講師 (40225173)
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Keywords | 事大文軌 / 文禄慶長の役 / 朝鮮 |
Research Abstract |
『事大文軌』の壬辰倭乱(文禄慶長役)関係文書は、主に巻30までに収録されているが、そのうちの20巻は欠落しているので、倭乱期の朝明関係を知ることができるのは、10巻分である。しかし、戦役2年目の正月から3月末に至る第3巻は、朝鮮・明側の平壌奪還と日本軍のソウルへの後退、そして日明講和交渉開始と日本側のソウル放棄に至る局面を知ることができる。戦役2年目末から3年目の春では、講和休戦中に朝鮮に駐留する明郡の兵糧問題、南部海岸線に駐留する日本軍の状況、戦役3年目末から4年目春の部分では兵糧問題のほかに、降倭の措置、日本への講和使節の派遣問題等が扱われる。戦役5年目6月から10月は、明使・朝鮮使が来日したものの大坂城講和が崩壊した時期にあたり、この講和に関する朝鮮王朝の立場、使節派遣の性格をつぶさに知ることができる。戦役6年目の3月から12月までの部分では、丁酉再乱に際して朝鮮・明軍の再配置問題や戦況が詳細に報告されている。戦役7年目の7月から年末にかけては、秀吉の死による日本軍の撤退、それを黙認する明軍と戦闘を主張する王朝の状況、そして戦後処理についてが知られる。 朝鮮王朝が明政府に報告するという視点で、日朝明関係に存在した問題を理解するので、『朝鮮王朝実録』や『経略復国要編』、日本側の秀吉や諸大名文書と重ね合わせると、倭乱の状況が立体的に見えてくるものである。そして、王朝が倭乱の被害者的立場に甘んじていたわけではなく、東アジアの国際状況の中で積極的に事態を動かしていった主体であることが理解できる。
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