1999 Fiscal Year Annual Research Report
15〜18世紀における中国の首都北京の社会史的研究
Project/Area Number |
09610361
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Research Institution | YAMAGATA UNIVERSITY |
Principal Investigator |
新宮 学 山形大学, 人文学部, 助教授 (30162481)
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Keywords | 北京 / 通州 / 通恵河 / 剥運方式 / 車戸 / 外戚 |
Research Abstract |
今年度は、16世紀(明代嘉靖年間)の通恵河改修問題を手がかりに、通州-北京間の物流市場とこれをめぐる利害の対立の具体相、および在地社会の変容について考察を加えた。 首都北京の存立に密接に関わる物通の最大のネックとなっていた通州-北京間の輸送方式を剥船(はしけ)による剥運方式に改め、元代以来の通恵河を再び利用可能にしたのが、この嘉靖年間の改修工事である。この剥運方式は、これ以後、清末に至るまで続けられた。 嘉靖7年(1528)の改修工事が行われる以前においては、通州-北京間の物流は、「車戸」と呼ばれる陸上輸送業者と「游手」と呼ばれる日雇い労働者によって支えられていた。またこうした陸上業者たちを配下に置いていたのは、通州や北京城内外に店房を多数所有し倉庫業や仲買問屋業を営む外戚・功臣・宦官などの身分的特権者であった。彼らは、皇帝権力により接近しているがゆえにさまざまな身分的特権を有して、首都北京の在地社会の秩序形成に対して大きな影響力を行使していた。 これに対し、剥運方式の導入は、身分的特権者たちや陸上輸送業者の利益を奪い、在来の秩序を切り崩すものであったから、改修工事に対してはさまざまな妨害が加えられた。こうした中で嘉靖年間に改修工事が完成したのは、傍系から即位した嘉靖帝が、「大礼の議」に関わって外戚張氏兄弟の勢力に打撃を与えようしたためであった。また通州在住の郷紳の発言に示されるような通州地域固有の利害の自覚化など、在地社会自体の変容もその背景にあったと考えられる。
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