1999 Fiscal Year Annual Research Report
古典期ギリシア・ポリスにおける対外政策の決定と党派
Project/Area Number |
09610396
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Research Institution | Doshisha University |
Principal Investigator |
中井 義明 同志社大学, 文学部, 助教授 (70278456)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
浅香 正 同志社大学, 古代学研究所, 教授 (70066059)
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Keywords | 古代ギリシア史 / 政治史 / レスボスの反乱 / 寡頭派と民主派 / アテナイ帝国 |
Research Abstract |
本年度はペロポネソス戦争中の前四百二十八年に勃発したレスボス諸都市のアテナイからの離反事件を研究した。 レスボス諸都市、とりわけその中心都市ミュティレネについては同時代人のみならず現代の研究者も強く関心を強く寄せてきた。同時代人はミュティレネの住民が都市の抹殺という危機を危うく免れたその運命の不思議さに、現代の研究者は離反の過程で露見した都市支配層と民衆層との乖離に興味を抱いてきたのである。 離反時のミュティレネの政権が寡頭派政権であったことは研究者の見解は一致しているが、アテナイに離反の動きを内通した人々については大きく対立している。さらにはミュティレネに寡頭派政権に対立する政治集団としての民主派の政治的影響力、その存在についても一致していない。離反鎮圧後、アテナイがミュティレネに民主政を導入していないこと、民主派を直接言及する史料がないことから、ミュティレネには寡頭派と対立する民主派は存在していなかったこと、寡頭派を強固な政治集団とは看做し得ないこと、むしろ様々な政治集団から成る集合概念でしかないことを論じた。事前に離反の企てをアテナイに内通したのも、アテナイ軍への降伏を指導したのも寡頭派の中の集団であった。民衆が篭城末期に見せた不服従は一部の研究者が強調するような革命的動きではなく、食料不足に端を発した離反指導者に対する不満の露呈に過ぎなかった. したがって、ペロポネソス戦争期のポリスが富裕者と民衆、寡頭派と民主派、とが厳しく対立し合う革命的状況にあったというトゥキュディデスのモデルをレスボス諸都市に関しては適用出来ないと評価した。
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