1998 Fiscal Year Annual Research Report
タイにおける国民的官僚制の成立:農業省官僚3000名の人事記録が物語ること
Project/Area Number |
09620068
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Research Institution | KYOTO UNIVERSITY |
Principal Investigator |
玉田 芳史 京都大学, 大学院アジア・アフリカ地域研究研究科, 助教授 (90197567)
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Keywords | タイ / 国民形成 / 近代国家形成 / 官僚制 / 人事 / 教育 |
Research Abstract |
本研究は3022名の農務省官僚の人事記録に基づいて、1940年以前のタイにおいて官僚制の徴募基盤が全国に拡大していたのかどうかを調べ、当時のタイにおいて国民が形成されていたかどうかを考察した。その結果、官僚の徴募基盤には著しい偏りがあり、国民形成はとうていおぼつかない状況にあったことが分かった。 総人口の6.4%を占める首都2県から全体の41.9%もの官僚が輩出されていた。逆に、総人口の32.3%を占める東北地方の出身者は5.1%、総人口の13.5%の北部出身者は1.8%にとどまっていた。出身地は入省時期が下るにつれて分散する傾向をみせたものの、1930年代になっても首都出身者が33.3%を占める一方、東北は4.8%、北部は5.4%にとどまっていた。しかも地位の高いものほど首都出身者が多かった。東北や北部が20世紀に入ってから首都の支配下に取り込まれたことを想起するなら、これらの周辺地域にはまだ国民意識が生まれていなかったといえる。 次に、全体のほぼ4分の1が高等官(今日でいえば大卒以上の官僚)であった。当時高等官は官僚の5分の1にすぎず、男性人口の0.2%にも満たなかった。しかも高等官の中でもより地位の高いものの割合が多かった。このことは、出身階層にも著しい偏りがあったことを意味している。 こうした偏りは教育に起因するところがあった。おおむね学歴が高くなるほど、首都出身者と高等官子息の割合が高まることが分かった。選り抜きのエリートである欧米留学者43名についてみると、79.1%が高等官子息、79.7%が首都出身であった。これは学校教育の整備が不十分であり、教育の機会に偏りが大きかったことによっている。
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