1999 Fiscal Year Annual Research Report
江戸の武家地形成過程と都市景観の研究 -武家の階層性と都市構造-
Project/Area Number |
09650702
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Research Institution | Nippon Institute of Technology |
Principal Investigator |
波多野 純 日本工業大学, 工学部, 教授 (40049721)
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Keywords | 江戸 / 武家地 / 大名屋敷 / 旗本屋敷 / 絵画史料 / 歴博本『江戸図屏風』 / 『肥前名護屋城図屏風』 / 『武州豊島郡江戸庄図』 |
Research Abstract |
本研究は、江戸の武家地の形成過程とその都市景観を明らかにすることを目的とする。江戸は、武家地・町人地・寺社地が封建的身分秩序に則って配置された計画的都市である。しかし、その内部構造を詳細に検討すると、制度的矛盾が土地の権利や利用形態にまで及んでいることが明らかになる。江戸初期には、武家が百姓地を買得するという形で、武家地の拡大がすすむ。いっぽう、中期以降には、下級武家地が実質的に売買され、町人地化する傾向がみられる。つまり、土地の所有形態に関する限り、封建的身分秩序は早くから崩壊をはじめたことになる。 本年度は、研究の中心史料である歴博本『江戸図屏風』(以下、歴博本)について再検討し、以下を明らかにした。 1.江戸城を頂点に、後ろに御三家を控えさせ、前に親藩や譜代の重臣の屋敷、横に外様大名の屋敷を配する歴博本の構図は、実際の都市構造を超えて、徳川の理想像である強固な軍営の図像化である。都市と軍営を連続的にとらえることは危険であるが、歴博本の構造は、朝鮮出兵の軍営を描いた『肥前名護屋城図屏風』と類似性をもつ。 2.幕府大棟梁甲良家の一族である甲良向念が著した『向念覚書』によれば、時代が下がっても、寛永期の大名屋敷を正確に描きうる情報を、大棟梁家など特殊な集団は、保持していた。しかし、歴博本には、大名屋敷の格式表現の基本となる中門・車寄は描かれていない。権威の表象を江戸城に集中したためである。 3.歴博本に描かれた旗本屋敷は、船奉行として軍船を係留した向井将監上屋敷と、隅田川から水を引いた見事な庭をもつ米津田盛下屋敷の2邸にすぎない。いっぽう、歴博本の描写範囲内において、『慶長江戸絵図』で25邸、『武州豊島郡江戸庄図』で31邸の旗本屋敷が確認できる。日暮門に代表される華やかな大名屋敷「ハレ」と較べて、徳川の日常性「ケ」に属する旗本屋敷は、描写対象として評価されなかったためである。
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