1998 Fiscal Year Annual Research Report
「比丁冊」をつうじて見た清代モンゴルの盟旗制度の実態に関する研究
Project/Area Number |
09710254
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Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
岡 洋樹 東北大学, 東北アジア研究センター, 助教授 (00223991)
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Keywords | モンゴル / 清朝 / 盟旗制度 |
Research Abstract |
本研究では、清代モンゴル・ハルハ・セツェン=ハン部中末旗の比丁冊を用いて、当時の旗の社会構造及び行政制度について事例研究を実施した。従来、清代モンゴル社会は、清朝が導入した旗・佐領制度をもって編成されたとされてきた。すなわち、150人の兵をもって構成される佐領は、旗長たるザサク及び旗印務処官員によって行政統治を受け、一方タイジには随丁という専属の民が分与された。比丁冊は、佐領・随丁及びタイジの名を登録して清朝に提出した档冊であるが、乾隆4年〜同治10年間の比丁冊草稿本の分析の結果、以下の事実が明らかになった。 1: 旗には、ザサク以下佐領・驍騎校・領催・什長等の清朝が設置した官制が設置されていたが、各役職には清朝の規定には無い副官等、旗独自の官制設置の事実が確認された。 2: 比丁冊上では規定通りの佐領編成が行われたように記載されているが、草稿本上の書き込み・訂正を併せて分析すると、当時の同旗が5つのバグないしオトグと呼ばれる社会集団に分かれて組織されていたことが判明した。 3: バグとは、同旗タイジ系図史料によると、同一氏族(ポルジギン氏)に属するタイジの分枝ごとの集団を指す名称であり、その属下にタイジの属民たる随丁及び佐領校箭丁、さらにはラマが分属していたことが判明した。 4: 従って、清代のモンゴル・ザサク旗では、佐領編成は帳簿上の組織にすぎず、実際の社会は、バグ(オトグ)と呼ばれるタイジの血縁分枝に基づくモンゴル伝来の方法による社会編成がなされていたことが明らかになった。 以上のような成果は、清代モンゴルの社会に関して全く新しい知見であり、重大な意味を持つ。しかし、今後は、さらに多くの旗を対象とした事例研究の積み重ねが求められる。
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