• Search Research Projects
  • Search Researchers
  • How to Use
  1. Back to project page

1998 Fiscal Year Annual Research Report

秋田・岩手・宮城三県の実地踏査による『奥州後三年記』の実体密着性と虚構性の研究

Research Project

Project/Area Number 09710323
Research InstitutionThe Internatinal University of Kagoshima Junior College

Principal Investigator

野中 哲照  鹿児島短期大学, 教養学科, 助教授 (70218337)

Keywords初期軍記 / 奥州後三年記 / 古代東北史 / 交通路 / 奥羽山脈 / 峠道
Research Abstract

奥羽山脈を横断する7ルート[(1)秋田県横手市-仙人峠・巣郷越(国道107号)-岩手県北上市 (2)秋田県平鹿郡十文字町-柏峠・手倉越(同397号)-岩手県水沢市 (3)秋田県平鹿郡十文字町-須川越(同342号)-岩手県ー関市 (4)秋田県湯沢市-田代峠・文字越(同398号)-宮城県栗原郡築館町 (5)秋田県雄勝郡雄勝町-鬼首峠(同108号)-宮城県古川市 (5)秋田県仙北郡田沢湖町-国見峠(同46号)-岩手県盛岡市 (7)山形県新庄市-中山峠(同47号)-宮城県玉造郡鳴子町]において、実測距離・斜度・推定される当時の道幅など前年度の自然地理学的調査を踏まえて、2年目にあたる今年度は人文地理学的調査を行った。具体的には、標高最高地点(峠)から最初の水場・田畑跡・人里跡・寺社・近世番所跡までの距離を、東西両側について計測した。2年間の調査の結果、『奥州後三年記』に記された奥羽山脈横断記事のルートは、次のように推定できる。(1)は、衣川と横手とを往還するルートとしてもっとも平易で、古道伝承もあるが、衣川が起点である場合、そこから北上までの迂回分の距離が難点。(2)は、衣川と横手とを往還する最短ルートで、東西両側の難所もごく一部で、また近世の番所跡や「山北道」の古称からみて、もっとも頻繁に利用された道であると思われる。(3)は、温泉水によって冬場も凍結しにくいメリットはあるが、川の増水や崖の崩落に悩まされたと推定される。(4)は、近世の番所跡はあるものの起伏が激しすぎ、平安期にはほとんど使われなかったと思われる。(5)は、多賀城を起点とした場合、もっとも最短かつ平易で、大軍の進軍にも利用されたと思われる。(6)(7)は平易な道だが、衣川を起点とする場合には、迂回してまでも選択するほどのメリットはない。以上の調査結果から、衣川と横手とを往来する場合は(2)が、多賀城と横手・雄物川町を往来する場合は(5)がそれぞれ用いられたとの推定結論を得るに至った。

URL: 

Published: 1999-12-11   Modified: 2016-04-21  

Information User Guide FAQ News Terms of Use Attribution of KAKENHI

Powered by NII kakenhi