1999 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10450189
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
篠原 修 東京大学, 大学院・工学系研究科, 教授 (70101110)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
天野 光一 東京大学, 大学院・工学系研究科, 助教授 (70193026)
堀 繁 東京大学, アジア生物資源環境センター, 教授 (90143403)
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Keywords | 魚市場 / 青物市場 / 市場の立地特性 / 寺町 / 城下町の設計 |
Research Abstract |
平成11年度の内容と成果は以下の通りである。 1)研究の目的:城下町住人の台所をまかなう魚市場、青物市場の立地特性を明らかにすること。又、防禦拠点とされていた寺町の土地利用を明らかにすること。 2)研究の対象と方法:市場の立地分析では江戸を取り上げ、文献調査により江戸初期から明治20年代に至る市場位置を地図上に落とし、その立地特性と変遷プロセスを分析した。寺町の土地利用では江戸と名古屋を取り上げ、江戸初期の絵図、切絵図をもとに、街道との関係、寺町地内の細街路の配置及び街道沿いの町地化のプロセスを分析した。 3)研究の成果:市場は当初、魚、青物共に自然発生的な位置に立地する。つまり、魚市場は江戸湾沿いの漁民の居住地周辺に、青物市場は江戸から後背地に伸びる街道沿いの江戸周縁部に立地する。江戸幕府の体制が整うにつれ、魚市場は日本橋に集約され、日本橋魚市場が特権的な地位を与えられ他の魚市場は衰退する。この日本橋魚市場は日本橋川と東海道、中山道の交差する位置に在り、江戸城にも江戸中心市街地にも有利な、また幕府の統制が容易な立地特性を有していた。一方の青物市場は中山道、日光道中の方向に集約され、江戸の最大の農業的後背地である現在の埼玉、千葉及び北関東平野からの青物搬入が重要であったことを示している。東海道筋と町人地が少なかった甲州街道筋には立地がなかったのは興味深い点である。 寺町の街道筋は都市が繁栄するにつれ、沿道の一皮が町地化され、当初の防禦機能に潜り、沿道商業地化されていく。しかしこの土地利用変更は街道筋に限られ、寺町内の細街路はその幅員を変えることなく明治時代に至る。
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