1998 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10610325
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
吉川 真司 京都大学, 総合博物館, 助教授 (00212308)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
菱田 哲郎 京都府立大学, 文学部, 助教授 (20183577)
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Keywords | 東大寺 / 金鐘寺 / 興福寺武軒瓦 / 平城宮八軒瓦 / 古代山林寺院 |
Research Abstract |
本年度はまず、東大寺丸山西遺跡で表面採集した軒瓦類の観察と、実測・採拓を行なった。その結果、軒瓦の型式と点数が確定した。すなわち『平城京・藤原京出土軒瓦型式一覧』の型式番号によれば、軒丸瓦は6301Aが12点、6301Bが3点、6282Bbが3点、6235Dが1点、型式不明が10点となり、軒平瓦は6671Bが25点、6671Eが4点、6671種別未定が2点、6721種別未定が2点、型式不明が5点である。これにより東大寺丸山西遺跡の創建瓦は6301A-6771Bと考えられ、興福寺式軒瓦のうち「興福寺系」軒丸瓦と「宮・京系」軒平瓦が混用されているという、他遺跡では見られない特徴を抽出することができた。また製作技法としては、6301Aに笵傷の進行が確認できること、6671Eの大部分が古式の段顎ではなく直線顎であること、などが判明し、丸山西遺跡の堂宇が平城宮II-1期(養老五年〜天平初年頃)の遅い段階に位置づけることが可能となった。なお、軒平瓦の平瓦凸面に建築後に付着した朱線が見られることから、丸山西遺跡が瓦窯ではなく、確かに寺院遺構であることも確認できた。 一方、文献面からの調査としては、中世〜近世東大寺文書を広く検索し、天地院・大伴寺・東大寺膝下所領などに関する文書を集成した。また、手向山八幡宮所蔵の近世東大寺図の調査も行なった。その結果、廃絶後の東大寺丸山西遺跡の利用状況が明瞭となり、また奈良時代に「石井」という施設を伴う山林堂宇が存在したこと、平安時代には「紫摩金院」と呼ばれる如意輪観音を本尊とする院家が建てられたこと、を知ることができた。 機材や日程の都合により、測量は来年度回しとなったが、踏査を数度実施して、遺物の散布状況など、東大寺丸山西遺跡の全体像はおおむね把握できた。考古資料・文献史料の突き合わせにより、東大寺前身寺院・金鐘寺の遺跡であろうという推断をほぼ下せる段階に至っている。
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