1999 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10610326
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
平 雅行 大阪大学, 文学研究科, 教授 (10171399)
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Keywords | 鎌倉幕府 / 鎌倉山門派 / 源恵 / 勝長寿院 / 幕府僧 / 天台座主 / 青蓮院門跡 / 将軍護持僧 |
Research Abstract |
僧侶のデータベース化は順調に進み、『吉続記』『経俊卿記』『伏見天皇日記』等や田中穰氏旧蔵史料の他、『大日本史料』4編〜6編9巻の検索を終えた。また「園城寺伝法血脈」も電子化した。 これらの作業の一方で、論文「鎌倉山門派の成立と展開」(400字詰め330枚)を完成させた。そこでは、まず北条出身僧56名の事績を紹介するとともに、(1)北条氏の進出は東密・寺門に比べ山門派が量的質的に劣っている、(2)その原因は将軍子弟の山門派進出に原因がある、ことを明らかにした。 ついで、鎌倉山門派の主要人物の事績と活動状況を時代順に検討した。そして、(1)将軍頼経時代に青蓮院門徒が多数活躍したが、その多くは頼経と共に帰洛し、その遺産は次代に継承されなかった。(2)時頼・時宗時代は禅律と寺門派保護が顕著であるが、山門派では尊家が活躍し、やがて門跡赦免と引き替えに最源が幕府僧として初めて天台座主となった。(3)鎌倉山門派の最盛期を現出したのは源恵であり、天台座主になるとともに鎌倉に四箇大法を導入した。(4)鶴岡別当頼助の東大寺別当の就任と、勝長寿院別当源恵の天台座主就任は正応5年(1292)9月であり、この時から幕府僧の畿内進出が一層活発化する。(5)山門派の祈祷は四箇大法は将軍のみ、得宗は准大法と明確に区別されていた。(6)青蓮院の道玄・慈道が鎌倉山門派の成長を支援したが、やがて慈道は大覚寺統出身のため反幕に転じた。(7)聖恵・澄助・光恵らは幕府滅亡の後に将軍護持僧となっており、鎌倉山門派の歴史的遺産は室町幕府に継承された、ことを明らかにした。また主要人物の忠源・良信・尊家・最源・源恵・道潤・聖恵については、確認できる事績を年譜の形で掲出した。
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Research Products
(2 results)