2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10610326
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Research Institution | Osaka University |
Principal Investigator |
平 雅行 大阪大学, 文学研究科, 教授 (10171399)
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Keywords | 東寺長者 / 天台座主 / 宮騒動 / 北条時頼 / 鎌倉幕府 / モンゴル襲来 / 園城寺長吏 / 宗教政策 |
Research Abstract |
鎌倉時代の山門・寺門・東密に関する基本史料から、僧侶のデータベース化する作業をほぼ終えることができた。これによって鎌倉で活動していた顕密僧の来歴が明らかになったことは、今後の研究の基礎を確立することができたといえるだろう。 最終年度であるため、幕府の宗教政策の変容過程を総括的に検討した。そこで鎌倉幕府と主従関係を結んだ幕府僧が畿内権門寺院に進出した事例を検索したところ、(a)源氏将軍時代の例は皆無であったが、(b)頼経時代になると、鎌倉仏教界の充実を背景に、東寺長者・東大寺別当・大伝法院座主など幕府僧が東密系の畿内権門寺院に大幅に進出していることが確認できた。ところが、(c)時頼・時宗時代になると一転して東密系への進出は皆無となり、園城寺長吏への進出しか、みえない。 この変化の原因は、将軍権力が執権北条時頼に敗れたことにあろう。鎌倉仏教界の育成が将軍九條頼経の主導で行われたため、1246年の宮騒動など、将軍と北条得宗との権力闘争では、ほとんどの顕密僧が将軍側となって呪咀祈祷を行った。そのため、勝利を収めた執権時頼はそうした僧侶を追放するとともに、宗教政策を転換して寺門派と禅律僧の保護へと向かったのである。 ところが(d)貞時・高時時代になると、鎌倉の幕府僧は天台座主、東寺長者・東大寺別当・醍醐寺座主、園城寺長吏など山門・東密・寺門のすべてに全面的な進出を果たしている。この変化の原因は、モンゴル襲来にあるだろう。幕府は畿内権門寺院に幕府僧を積極的に進出させることによって、モンゴルに対抗するための祈祷体制を幕府主導で構築させることに成功したのである。これは北条得宗専制の一環として捉えることができる。 私たちはこれまで、(b)頼経時代から(c)時頼時代への政策転換、および(c)時宗時代から(d)貞時・高時時代での再度の政策転換を見落としてきた。今回の研究によって、鎌倉幕府の宗教政策の段階差が鮮明に浮かび上がったのである。これは幕府の宗教政策を考える上においても、また幕府論一般にとっても、大きな成果となるだろう。
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Research Products
(1 results)