1998 Fiscal Year Annual Research Report
ドイツ中世における宮廷と身分編成・国家統合に関する研究
Project/Area Number |
10610376
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
服部 良久 京都大学, 文学研究科, 教授 (00164872)
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Keywords | ドイツ / 中世 / 宮廷 / 身分 / 領邦 / 帝国 / 都市 / 国家統合 |
Research Abstract |
ヨーロッパにおける君主の恒常的な滞在施設=レジデンツの所在する宮廷都市・首都の形成は一般に中世後期を出発点とした。宮廷都市の形成が第一に国家形成のプロセスに規定されていたとすれば、ドイツの帝国と領邦の二元的構造を特色とする国家形成は、宮廷都市・首都の形成をも規定していた。 13世紀に至るまでドイツ中世の国王統治は、巡行支配Reiseherrschaftを原則としており、帝国各地に設けられた王宮Konigspfalzがその滞在場所となった。数日〜数週間ごとに移動する国王の一時的な滞在場所であるこれらの王宮は、王領、簡素な住居、場合によっては礼拝堂、城塞をも備えていたが、必ずしも都市と結合せず、とくに11世紀以前の古い王宮は、中世盛期以後に放棄され、廃墟化することもあった。都市が発達するシュタウフェン朝時代には都市と結合した王宮への国王の滞在が頻繁となるが、大空位時代以後の「家産王権」のもとでは、国王はその家領である領邦の経営に統治の重点を置き、シュタウフェン朝時代までに比して巡行の範囲と頻度は次第に縮小した。そのため巡行支配の拠点であった各地の王宮の機能は低下し、少なからぬ王宮施設は都市、市民の手に移った。そして国王が自らの領邦の中心都市を最も重要な滞在所(ヴィーン、プラハ、ミュンヘンなど)としたように、諸侯もまた各々の支配領域の領邦化に活動を集中し、その中に自身の宮廷都市を形成する。 本年度は以上のように、シュタウフェン朝時代までの巡行統治と結合した散在王宮から、中世後期の家産王権下の、王と諸侯の双方による、各々の領邦の宮廷都市=首都の形成への移行が、ドイツの領邦的国制への移行と平行して進むことを明らかにした。
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