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1998 Fiscal Year Annual Research Report

擦文文化からアイヌ文化への雑穀農耕の継続性

Research Project

Project/Area Number 10610405
Research InstitutionHistory Museum of Hokkaido

Principal Investigator

山田 悟郎  北海道開拓記念館, 学芸部・資料管理課長 (00113473)

Keywordsアイヌ民族 / 中世 / 近世 / 農耕 / ヒエ / アワ
Research Abstract

14世紀から18世紀初頭のアイヌ文化期の6遺跡から、オオムギ、アワ、キビ、ヒエ、モロコシ、しソバ、小豆、アブラナ科、シソ属、アサなど11種類の作物種子が出土した。コメ以外の作物はアイヌ民族によって栽培されたものである。作物種子の大部分が本州から持ち込まれたコメという例もみられるが、アワとヒエが多く出土し、ヒエはいわゆる南部ヒエとされているものと同じである。アイヌ文化期以前の擦文時代にも北海道全域で雑穀農耕が行われヒエやヒエ属と同定された種子も出土しているが、石狩低地帯の札幌市や千歳市、余市町などの遺跡に限られていた。ところが、14世紀以降になるとヒエのウェイトが高まり、ヒエとアワが中心となった作物の組み合わせに変わる。このような主要作物の転換がどのような背景のもとで行われたのかは不明である。
アイヌ民族にとってヒエとアワは、アイヌの穀物とよばれた重要な作物で、オキクルミ神話にも天界からヒエを盗んできたことが語られている。14世紀から17世紀に南部ヒエが栽培されていたのは遺跡から出土した炭化種子から明白で、他にタイヌビエに似たヒエも存在していた可能性がある。それが擦文時代の遺跡から出土しているヒエ属と分類されたものの系統をひいたものの可能性があるが、現時点ではその確認ができない。
このようにヒエやアワを主とした作物を栽培した、アイヌ民族によった農耕の収穫物が、当時の生業形態のなかでどの程度の役割を果たしていたかが問題となる。これまでは18世紀以降の記録をもとにアイヌ民族の農耕が語られてきたが、これといった農具を使用せず、畝をつくらず、施肥もしない、それはきわめて粗放的な農耕であったとされてきた経緯がある。しかし、それは松前藩による統治政策によって集落から労働力が収奪されたなかで行われていたものであって、本来的なものではなかったと考えられる。

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    (1 results)

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  • [Publications] 山田悟郎: "中世および近世アイヌ文化期遺跡から出土した作物" 北海道開拓記念館研究紀要. 27号. 9-18 (1999)

URL: 

Published: 1999-12-11   Modified: 2016-04-21  

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