2000 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10610419
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
長島 弘明 東京大学, 大学院・人文社会系研究科, 教授 (00138182)
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Keywords | 上田秋成 / 伝記 / 文人 |
Research Abstract |
平成12年度は、3年間にわたる本研究の最終年として、上田秋成60歳の京都移住以後76歳の死去まで、すなわち国学研究が本格化し、やがて国学研究から小説執筆・歌文創作へと関心を移して行った、晩年の京都時代の伝記資料を検討した。とりわけ、伝記的な情報が豊富に含まれていながら未検討であった晩年の書簡群を、伝記の空白を埋める一級資料として精査した。その結果、以下の知見が得られ、また秋成の伝記を、「上田秋成年譜(増補版)」という形で、研究成果報告書としてまとめた。 1.秋成の国学研究は、王朝物語研究から始まるが、晩年に至って『万葉集』研究に比重を移す。その研究方法も、語義考証から創作心理の考察へと徐々に重点を移し、研究から考証随筆的な文章に変化している。特に、文化4年秋の、いわゆる著書廃棄の一件以後は、純粋に学問的な著述と呼べるものはなく、研究が創作と融合し、ついには『春雨物語』の「血かたびら」「天津処女」「海賊」のような小説作品の中に、研究が吸収されるに至る。 2.『春雨物語』の起筆は、従来の説とは異なって、最晩年の文化5年である公算が大きい。種々の異文も、おそらく3ヶ月ほどの間に書かれたとおぼしい。『春雨物語』の性格を考えるには、従来の方法での学問研究を放棄したことを示す、著書廃棄一件の後に書かれたということを重視すべきである。すなわち、秋成は『春雨物語』において、研究と創作が融合した新しいタイプの作品を提示したことになる。 3.晩年の生活を支えた知人として、実法院関係者の存在はまことに大きい。また、実法院関係者を含め、秋成の目の主治医である谷川家関係者、門人格の松本柳斎や大沢清規等は、秋成の生活を扶助したばかりではなく、歌文創作を促した存在としても注意すべきである。
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