1999 Fiscal Year Annual Research Report
ドイツ映画およびアメリカ映画の形成における<オーストリア映画>の寄与の研究
Project/Area Number |
10610503
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Research Institution | Meiji University |
Principal Investigator |
瀬川 裕司 明治大学, 理工学部, 教授 (80216514)
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Keywords | ドイツ映画 / アメリカ映画 / オーストリア映画 |
Research Abstract |
平成11年度においては、オーストリア人の映画監督や脚本家、もしくはオーストリアで活動したことのある映画人がドイツで撮った映画作品について研究することに重点を置いた。ベルリンのブンデスアルヒーフおよびドイチェ・キネマテークと密接な連絡をとりながら、該当する映画作品を一本でも多く見る努力をし、文献資料の収集・研究につとめた結果を、以下に簡単に書いてみたい。1945年以前のオーストリア系映画作家のドイツにおける活動は、10年代中盤から20年代はじめにかけての時期と、トーキーが導入されてから数年間の時期とに大きく分けられる。前者を代表する存在としては、ジョー・マイ、フリッツ・ラング、カール・グルーネの名が挙げられる。マイはドイツで探偵映画、冒険映画を撮り始めた人物であり、ラングもまた世界を放浪した体験を生かして、エキゾチックな味付けのなされた犯罪映画で名を成し、やがて神話的作品やSF映画などで次々に新しい境地を切りひらいた。また、グルーネは表現主義のスタイルでの<街路映画>というジャンルをドイツにもたらした功労者である。トーキー初期のドイツでオーストリア系映画人が活躍したのは、音楽を映画に生かさねばならないという必要性から、オペレッタの伝統に親しんでいる彼らが専門家として呼ばれたためだ。ヴィリー・フォルスト、ゲーザ・フォン・ボルファリー、アルトゥーア・マリーア・ラーベナルトらの当該時期の作品は、ほぼ例外なく歌や音楽の盛り込まれたミュージカル映画であり、彼らの音楽の使用法が、やがて他のドイツ監督たちの作品に学ばれていくのである。つまり、世界を席巻したドイツ・オペレッタ映画をはじめ、トーキー時代のドイツ映画のスタイルそのものが、オーストラリア作家によって形成されたといっても過言ではないのだ。平成12年度は、オーストラリア作家がアメリカ映画にもたらした影響を確定したい。
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Research Products
(2 results)