2000 Fiscal Year Annual Research Report
イギリスにおける救貧法論争と福祉国家の成立に対する経済思想の影響の研究
Project/Area Number |
10630004
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
渡会 勝義 早稲田大学, 政治経済学部, 教授 (80097196)
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Keywords | 救貧論 / 救貧法 / タウンゼンド / ペイリー / ベンサム / ワークハウス |
Research Abstract |
昨年度に引き続き、18世紀末から19世紀初頭にかけてのイングランドにおける救貧論を検討した。本年度は、J.タウンゼンド、W.ペイリー、J.ベンサムの救貧思想を中心に検討した。J.タウンゼンド(1739-1816)は、マルサスに先駆けて、イングランドの救貧法が貧困救済の目的にとって不適切で貧困を増加させることを指摘し、救貧法の適用を制限し、貧民の勤労の精神、節約心、忠誠心を促進する対策を提案した。W.ペイリー(1743-1805)は著名な神学者であり、その著作は長い間大学の教科書として広く用いられ、社会の上層階級に大きな影響を与えた。ペイリーは公的な救貧の必要性を主張し、貧困者には救済を受ける権利があるとした。私有財産はすべての人の生存を保障するという条件のもとに神によって承認されたものだというのが、その根拠である。この観点からペイリーは、救貧法と救貧税を擁護するのである。19世紀前半において救貧法廃止論が高まる中で、ペイリーの救貧法擁護論は地主層を中心に大きな影響を持ったといえる。J.ベンサム(1748-1832)は、1790年代半ばにおける穀物不作による食料価格の高騰時に出されたピットの救貧法改正案に論評を加えたのを機に貧困問題に関心を持った。ベンサムは、貧困者の公的な救済の必要を認めた上で、効率的な救貧の方法を追求した。ベンサムは貧困と困窮を区別し、困窮すなわち労働できないか労働できたとしても生活に必要なものを確保できない状態にある者のみが救済の対象となるとした。その貧困救済の考え方は、全国に大規模なワークハウスをつくり、そこに貧民を収容し、労働させ、独立採算を原則とする。ワークハウスでは、貧民は労働をしながら勤労の精神を身につけるものと考えられた。ベンサムの救貧論は1810年代における救貧法廃止論の高まりの中では注目されることはほとんどなかったが、1834年の新救貧法には弟子のE.チャドウィックを通じて影響を及ぼしたのである。
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