1998 Fiscal Year Annual Research Report
水俣病における地域再生の比較研究と「第三水俣病」問題の再検討 -水俣病紛争の「解決」以後における社会的課題-
Project/Area Number |
10710087
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Research Institution | Nara University of Education |
Principal Investigator |
渡邉 伸一 奈良教育大学, 教育学部, 助教授 (70270139)
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Keywords | 水俣病 / 公害の教訓化 / 地域再生 |
Research Abstract |
熊本の水俣市では、公害で疲弊した地域の再生のための試みが、行政と住民、被害者が一体となって展開されている。しかし、新潟ではそうなっていない。例えば、1,原因企業のある鹿瀬町(阿賀野川の上流)の町史の年表には「新潟水俣病」の文字は一言も書かれていない。また、町長は「水俣病の問題はできれば早く忘れたい」と言い、「行政として、水俣病の歴史を語り継ぐ気はない」と述べる。2,一方、下流域では、水俣市の場合を参考に、新潟水俣病資料館の建設を進めているが(水俣病の教訓化事業、場所は阿賀野川から少し離れた豊栄市の福島潟に予定)、地元の漁業や水俣病の認定患者(新潟水俣病被災者の会)から反対運動が提起され、県は対応に苦慮している。水俣病の教訓化、そしてそれに伴う地域再生の試みの熊本と新潟との相違はどこに起因するのであろうか。 相違の原因の基底にあるのは、「地域社会の分裂と不和」という問題であった。当初の汚染、そしてその後の紛争の過程で阿賀野川流域住民の中には水俣病被害者とそうでない人々という区別が生み出され、さらには前者の中に様々な立場の違う集団が作り出された。これらの集団の中には、微妙な反目と不和が見いだされ、これらが教訓化事業に対する意義付けの相違を形成していた。そして、そこに、1,熊本と新潟それぞれにおける原因企業の教訓化に対する姿勢の違いや、2,新潟の場合、原因企業の位置する自治体と教訓化事業展開の中心地が地理的に分離していること、が大きく関係し、資料館の建設をはじめとする教訓化事業の合意形成を困難なものにしていたのであった。
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