1998 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10710173
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
赤坂 恒明 早稲田大学, 文学部, 助手 (40298112)
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Keywords | モンゴル帝国 / 中央アジア / 内陸ユーラシア / ジュチ・ウルス / キプチャク汗国 / ウズベク / イスラーム / ペルシア語史料 |
Research Abstract |
本年度は、東方イスラーム史料においてジュチ裔諸政権を呼称する用語の一つ「ウズベク」について分析し、その成果を、史学会第96回大会(1998.11.15)において「ウズベクとジュチ裔諸政権」の表題で発表した。即ち、研究上「遊牧ウズベク族」と称されているウズベク集団は、通説では、十四〜十五世紀に、キプチャク草原の東部において民族形成され、十五世紀前半に、ジュチの第五子シバンの子孫であるアブール・ハイル・ハンのもとに「キプチャク汗国」から独立して国家形成を遂げた、と見なされている。そして、集団名「ウズベク」がジュチ・ウルス(キプチャク汗国)の君主ウズベク・ハンに由来するか否かが、研究史上、解決されるべき問題として残されている,私は、同時代史料であるチムール朝期ペルシア語史料の記載を分析し、 (1) 「ウズベク」とは、ジュチ・ウルスをイスラーム化させた君主であるウズベク・ハンの名に由来する。 (2) 「ウズベク」とは、十四世紀中葉から十六世紀に至るまで、イスラーム化した後のジュチ裔諸政権を構成する諸集団の総称(キプチャク草原の東部のみに限定されない)として用いられた。 ということを明らかにした。従って、「遊牧ウズベク族」に関する従来の通説は疑問とせざるを得す、アブール・ハイル・ハンが建てた所謂「遊牧ウズベク国家」とは、ジュチ裔諸政権のうち、キプチャク草原東部を本拠としてマーワラーアンナフル進出を果たした一政権であると考えるべきである。 ここに、ジュチ裔諸政権を中心に展開する、モンゴル帝国解体後の内陸ユーラシア西北部の歴史展開は、全面的に再構成される必要がある、ということが明らかとなった。その試みとして、1998年度早稲田大学史学会大会(1998.10.15)において「ジュチ裔諸政権と「キプチャク汗国」」という表題の発表を行ない、この問題の見通しについて展望した。
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