1999 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10710173
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
赤坂 恒明 早稲田大学, 文学部, 助手 (40298112)
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Keywords | ジュチ・ウルス / キプチャク汗国 / モンゴル帝国 / ウズベク / タタール / 内陸アジア / イスラーム / ロシア |
Research Abstract |
来年度は、昨年度までの研究を総括した。その成果は、『史学雑誌』第百九編第三号に「十四世紀中葉〜十六世紀初めにおけるウズベク--イスラーム化後のジュチ・ウルスの総称--」と題する論文として発表される予定(2000.3)である。当該の論文では、モンゴル帝国の西北部を構成するジュチ・ウルスの分裂に伴い十四世紀中葉以降の内陸ユーラシア西北部に「ウズベク」や「カザフ」などの「民族」が形成されたとされる通説を再検討するために、同時代の東方イスラーム史料を分析した。そして、モンゴル帝国解体後における内陸ユーラシア西北部の歴史展開は、イスラーム化したジュチ・ウルスの構成員としての「ウズベク」諸集団が、ジュチ裔諸政権という大枠の中で各自の政権--「シャイバーン朝」、カザフ政権、小ムハンマド裔(アストラハン)政権、カザン政権等--を成立させ、結果的に、それらの諸政権において、今日につながる諸民族形成の中核または中核の一つが形成されるに至った、と概括化されることを指摘した。 また、ロシアをはじめとするヨーロッパにおいて確立した、政権の枠組としての「キプチャク汗国(金帳)」とは「タタール人」の政権として位置づけられる。この「タタール人」とは、ロシアと敵対する異教徒として、ロシア中心主義のもとに概念化されたものである。従って、「キプチャク汗国」とは、ジュチ裔諸政権のうち、一部の政権のみを、ロシア中心史観に基づいて恣意的に概念化したものに他ならない。なお、この部分は、未だ論文化するに至っていない。この問題に関しては、さらに深く掘り下げた分析が必要であると思われるので、それを今後の課題としたい。しかし、内陸アジアから東ヨーロッパにおよぶ広大な地域において歴史上大きな足跡を残したジュチ・ウルスの歴史は、今後、根本的に再構成される必要がある、ということを明確にすることができたという点で、本研究はとりあえず所期の目的を達することはできたものと思われる。
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