1998 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
10750471
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Research Institution | Nara National Research Institute for Cultural Properties |
Principal Investigator |
箱崎 和久 奈良国立文化財研究所, 平城宮跡発掘調査部, 研究員 (10280611)
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Keywords | 薬師寺 / 講堂 / 三手先 / 組物 / 平城宮 / 奈良時代 / 雛形 |
Research Abstract |
1. 薬師寺創建講堂の建築史的評価1995年の奈良国立文化財研究所による発掘調査の結果、平城京に建てられた薬師寺の講堂は、三手先組物を用いていたことがあきらかになった。これらは古代寺院講堂の常識を覆す知見である。また、発掘調査から知られる平城京大安寺と藤原京大宮大寺の講堂も三手先組物を用いていた可能性が大きい。現在遺構では、延徳3年(1491)に再建された東寺講堂が三手先組物であり、解体修理にともなう発掘調査の結果、創建当初から三手先だったことが判明している。すでに知られているように、藤原京から移された薬師寺は、その堂塔の規模をほとんど変えずに平城京で再建しており、藤原京薬師寺の講堂も三手先組物を採用していた可能性がきわめて大きい。これらを総合すると、講堂に三手先組物を使うのは、7世紀末〜9世紀初頭における律令国家官寺に特有の形態であったと考えられる。『西大流記資材帳』に、金堂が2宇書かれ講堂がないのは、金堂と構造が、その性格だけでなく建築的にも非常に類似していたことを示すものであろう。 2. 平城京出土の五角斗1976年、平城宮東院(奈良時代後期の園池)の発掘現場から出土した平面五角形の建築雛形部材は、その形状から漠然と八角堂の部材と言われてきた。しかし、長野県安楽寺八角三重塔(鎌倉末期)に類似する部材を発見し、これを奈良時代における三手先組物の形式にあてはめると、この雛形部材は八角堂における三手先組物隅行一手目の方斗に相当する。ところが、雛形の縮尺を奈良時代の現存遺構にみられる1/10と考えた場合、一手目の方斗に想定すると部材が大きすぎ、あまりに巨大な建物を与えねばならない。したがって、むしろ組物を大斗肘木と想定したときの大斗にあたるものとみた方がよい。
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