1999 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
11610004
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
信原 幸弘 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 助教授 (10180770)
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Keywords | 意識 / クオリア / 志向説 |
Research Abstract |
意義的経験にはクオリアとよばれる独特の感覚的な質が伴う。クオリアを有することは意識的であることの定義的な特徴である。このクオリアの本性にかんしては、それを意識的経験の志向的内容に属する性質すなわち志向的性質とみなす志向説が有力である。しかしクオリアが意識的経験の指向的性質にすぎないとすると、そのような志向的性質をもつ無意識的な経験も可能であるから、クオリアを有することが意識的であることの定義的特徴ではなくなってしまう。したがって、クオリアをたんに経験の志向的性質とみなすわけにはいかない。それは「意識的な」志向的性質でなければならない。しかし、それではこの「意識的」というのはどういうことなのであろうか。志向説を検討した結果、志向説においてはこのようにあらためて意識的であることの本性が問題となることが分かった。そこで基本的には志向説を維持する方向でこの問題への対処の仕方を探ってみた。その結果、意識を言語と本質的な結びつきをもつものとみなすことがもっとも有力であるという結論を得た。すなわち、あるものが意識的であるということはそのものを言語化することが可能だということだと考えるわけである。こう考えれば、高次意識の可能性も説明される。このように意識性が言語化可能性だとすれば、クオリアを有することは言語化可能な志向的性質をもつことだということになる。この結論は、言語をもたない動物は意識的な経験をもたず、したがって、クオリアを伴う経験をもたないという反直観的な帰結を生じるが、ここではわれわれの直観のほうにむしろ問題があると言える。というのも、言語をもたない動物の経験のあり方を詳しく考察してみれば、その経験をとくに意識的とみなすべき理由はないことが分かるからである。
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