2002 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本における西洋音楽文化の衝撃と大衆音楽の形成―黒船から終戦まで
Project/Area Number |
11610047
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Research Institution | Tokyo Institute of Technology |
Principal Investigator |
細川 周平 東京工業大学, 大学院・社会理工学研究科, 助教授 (70183936)
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Keywords | 近代化 / 音楽 / 文化変容 |
Research Abstract |
研究計画の最終年にあたり、4年間でカバーする最後の時期、十五年戦争期について集中的に調査し、これまで体系的な記述のなかった音楽プロパガンダについて一次資料にもとづいた分析を行った。近代日本を振り返って、この時期ほど音楽に国家的な使命が課せられたことはなく、満洲事変勃発前後から、国家の好戦的な方策を新聞社、レコード会社、映画会社などはすばやくくみ取って、積極的に協力体制をしいた。まさにレコード会社主導のヒット作りが戦争と時期を同じくして始まったことは、日本の文化産業を考えるうえで重要なポイントになる。 「肉弾三勇士」事件は、新聞、ラジオ、映画、レコード、演劇を含めた大衆文化の総動員体制を最初に試したテストケースだった。この商業的な成功によって、新聞や雑誌はことあるごとに歌詞や時には旋律を募集するようになり、草の根詩人や作曲家を刺激し、レコードや映画とのタイアップを頻繁に行った。戦争自体が一種のメデイア・イベントと化した。 放送協会が制作した健全な国民歌謡や内務省選定の「愛国行進曲」などの公式的な歌のほかに、レコード会社は時局にかこつけた感傷的な歌を作り続けた。たとえば火野葦兵のベストセラーにもとづく東海林太郎の「麦と兵隊」、上原敏の「北京だより」は、股旅小唄やメロドラマ調の歌に代わって、男どうしの友情や家族の絆を歌った。庶民の間では替え歌が政府や戦争への不満を代弁した。プロパガンダがそのまま人々を好戦的にしたのではなく、送り手の意図と離れて、悲惨な戦時生活の糧となり、敗戦まで持ちこたえさせた。研究では政府の文化統制と産業の追従と独自の市場開拓について、また指導層の意図と大衆の反応のギャップから多面的に戦時文化を見直す視点を提出した。
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