1999 Fiscal Year Annual Research Report
ローマ帝政末期におけるキリスト教異端諸派の排斥メカニズムと教会制度確立過程の解明
Project/Area Number |
11610411
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Research Institution | Nagoya Seirei Junior College |
Principal Investigator |
山田 望 名古屋聖霊短期大学, その他部局等, 助教授 (70279967)
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Keywords | ローマ帝国 / 帝政末期 / 異端 / ペラギウス / ペラギウス派 / 幼児洗礼 / アウグスティヌス / 原罪論 |
Research Abstract |
今年度の研究による新たな成果は、項目11に記した二つの論文に掲載し、また、その一部は平成11年8月に英国オクスフォード大学で開催された「第13回国際教父学学会」にて発表した。新たな成果の概要は以下の通り。 1.380年代の西方側キリスト教会内部には、教会指導者とキリスト教ローマ貴族との繋がりにおいて二つの人脈が存在した。すなわち、アクイレイアの司教ルフィーヌスと彼のパトロンであった大メラーニアを中心とするグループ、今一つはヒエロニュムスと彼の霊的指導を受けた貴族夫人パウラを中心とするグループである。 2.400年にオリゲネスの思想が異端として断罪されるやいなや、ルフィーヌスおよびヒエロニュムス双方のグループ間に、相手方をオリゲネス主義者であると決めつける激しい論争が生じた。この「オリゲネス論争」の担い手であった二つの人脈が、ほとんどそのまま新たな「ペラギウス論争」の担い手へと移行した。 3.ルフィーヌスの後を受け継いだペラギウスとその弟子たちは、幼児洗礼を認めながらもそれを義務的なものと捉えず、あくまでも「緊急洗礼」として位置づけていた。これは、考古学的データ、とりわけペラギウス派が活躍したローマ市ならびに北イタリアのカタコンベ碑文からも裏づけることができる。380年代から410年までの間に死の危機に瀕して洗礼を授けられ、その後息を引き取った子供の墓が多数カタコンベの碑文から確認できる。これは、当時イタリア本土では、幼児洗礼が未だ義務化されていなかったことを裏づけるものである。 4.一方、ヒエロニュムスとアウグスティヌスは、原罪論の提唱によって、幼児洗礼を原罪の除去に必要不可欠なものとして強調した。当時の教会当局にとって、ペラギウス派の排斥は、幼児洗礼義務化のためにも不可欠であった。また、アウグスティヌスの原罪論は、まさしく幼児洗礼義務化のために好都合なものに他ならなかった。
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Research Products
(2 results)