1999 Fiscal Year Annual Research Report
旧ユーゴスラヴィア紛争とセルビア民族主義 : 「民族浄化」の意味するもの
Project/Area Number |
11620077
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
定形 まもる 名古屋大学, 大学院・法学研究科, 教授 (20178693)
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Keywords | ユーゴスラヴィア / セルビア人 / 民族浄化 / 体制転換 |
Research Abstract |
第二次世界大戦後のユーゴスラヴィア共産党政権は、「民族の融和と統一」を掲げ、各民族の地位、権限の平等の下に共和国を構成し、分権的な連邦制度を採用した。共和国の境界線についてはモザイク状に分布した民族の分布に従い、民族自決権が留意されたが、多民族国家ゆえに、スロヴェニアを例外としていずれの共和国にも相当数に上る他の民族が居住することになった。また、各共和国の力の均衡を図る意味もあって、セルビア共和国の境界線は、実際の民族分布とは大きくずれる形で線引きされた。これによって、ユーゴスラヴィアのセルビア人の40%はセルビア共和国(コソヴォ、ヴォイヴォディナ自治州を除く狭義のセルビア)外に編入されることになった。その顕著な例がクロアチア内のクライナ・セルビア人、コソヴォ自治州内のセルビア人、ボスニア共和国内のセルビア人であった。 本年度は、体制転換とユーゴスラヴィアの内戦の過程で、これらの地域のセルビア人がどのような政治的判断をしたのかを考察した。その際、セルビア人と他民族との関係を歴史的、政治的、経済的、文化的な側面から分析した。その結果、セルビア人が一枚岩的に民族主義的、排外主義的な「民族浄化」の道を辿ったのではないことが実証された。とくに、クライナのセルビア人の場合は、「その地で生まれ長く居住してきた」セルビア人はクロアチア人とうまく共存できたのに対し、第二次大戦後にドイツ人が追放された後に入植してきたセルビア人や、六〇年代以降の工業化のなかで労働力として移動してきた「新参者」セルビア人の場合は、クロアチア人とうまく馴染めず、対立点を抱えていたことがわかった。したがって、クロアチア内戦で、最も激しく戦われたのは、後者の典型であったスラヴォニアであり、歴史的にセルビア人が居住してきた地域ではなかったのである。
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